雑感

なりたい自分になるための覚悟を決める

色々とありすぎた2016年ももうすぐ終わる。
人生の転機。

 

どうももがいているのにうまくいかない…そんな思いをよくしていたそれ以前。
でも、色々なものを手放さざるを得なくなった時、本当に大切なものが逆に見えるようになった。
自然と、自分の人生をどう生きたいのか?を自問する時間が増えて、自分が変わったように思う。

 

自分の内側の声を聞くことを忘れて人の期待に耳を傾けていると、プレッシャーを感じて焦ったりすることが少なくなかったけれど、それが私の一番の弱点だったのだと今はわかる。
「これしなきゃ」とか「こうでなきゃ」とか、そういう思いで行動をしていると、義務感や責任感に流されているうちに少しずつずれてきて、はたと気がつくと、実はそれは私自身が本当に望んでいるものではなくなっていたりする。

 

親の反対もあって、音大には行けず、教育学部から登ってきた階段。
肩書が無いという劣等感。
肩書をつけなければという焦り。

 

過労で身体を壊す前は「藤原美穂子くらい目指してもらいたい」なんて言われていたこともあったけれど、そういう…「第一線級になること」を心から望んでいたわけではなかったなぁと、今はわかる。

 

劣等感や焦りから欲しているものは、魂が欲しているものとはどこか違う。
劣等感や焦りから行動をしていると、身体がかたくなって、呼吸も浅くなって、流れに乗れない。
どうももがいているのにうまくいかない…のは、心の奥底では望んでいないから。

 

名ソプラノのカバリエのCDを初めて聴いた時の衝撃。
「こんな美しい声が人間から出るのか」という驚嘆と共に、自分もこんな歌声で音楽を奏でられるようになってみたい。
ただそれだけ。
たったそれだけの理由で長らく続けていた。

 

それが、喜んでくれる人がいたりするのも嬉しくて、そういう場へ行って幸福感を共有したいと思うようになった。
人と、音楽を共有することを楽しみながら豊かな時を過ごしたい。
ただそれだけ。

 

贔屓されてるとか言われたり、肩書のなさからバカにされるような扱いを受けることもあった。
握りつぶしたような粉々のお菓子を渡されることも、根も葉もない噂をばらまかれて人格的評価に傷をつけられることもあった。
よかれと思ってやる雑用や指導に、「崇め奉られたいんだろ?」と言われることもあった。

 

…けれども、そういったことに傷つく私自身が、私自身のことを大切には扱えていなかった。

 

椅子取りゲームをしたいわけじゃないのに、無理やり参加させられている感覚に嫌悪感をいだきながらも参加しなきゃいけないと思っていた。自分を無視していたのは自分自身だった。

 

自分の本当の心の声を無視して何かをする時は、覚悟がない。
覚悟がないから動揺する。
「私」が無いのに無理して頑張って、不必要に被害者意識を募らせる愚かさ。

 

私が私であるだけで、不快な人も世の中にはいる。
NOを言うことも、離れることも、決して悪いことでもなかった。

 

他者の「アナタのせいで私は不愉快なのよ!」を受ける度に罪悪感をおぼえては、どうしていいのかわからなくなって、変に気を遣ったり無償労働を過剰に引き受けたりしてきたけれど、そういうのはもうやらない。

嫌われてもいい。私が私であって、それで嫌われるのなら受け入れよう。

 

他人が望む誰かさんになるためにエネルギーを注ぐことは、私はもうやりたくはない。
もう三十代。
残りの時間は貴重だから、本当に命を大切にしたい。

 

諦めることが覚悟をきめることだったのかもしれない。
私は長らく、覚悟が足りなかった。
「ごめんね。私はあなたが言うような人間にはなれないよ。」
…と、そう言う勇気。

 

本番をひとつ終えて、またひとつ勇気をもらい、前を向く。

 

2017年、再び大きく変わる。
そんな予感がしている。

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