エッセイ,  心理学/人間関係,  雑感,  音楽

カルテットの手紙にあった「煙」だけど

超遅ればせながら…やっと娘の小学校が始まったので、次女のお昼寝中に「カルテット」の最終回をみました。

それをみての感想。

みていない方には通じないかなぁ?すみません。

音楽だけではとてもやっていけていない、30代のカルテットのドラマです。

 

カルテットドーナツホールがもらった手紙↓


カルテットドーナツホール様

はじめまして。わたしは去年の冬、カルテットドーナツホールの演奏を聴いた者です。

率直に申し上げ、ひどいステージだと思いました。
バランスが取れてない。ボウイングが合ってない。
選曲に一貫性がない。というよりひと言で言って、みなさんには奏者として才能がないと思いました。

世の中に優れた音楽が生まれる過程で出来た、余計なもの。
みなさんの音楽は、煙突から出た煙のようなものです。
価値もない。意味もない。必要ない。記憶にも残らない。

わたしは不思議に思いました。
この人たち、煙のくせに、何のためにやってるんだろう。
早く辞めてしまえばいいのに。

わたしは五年前に奏者を辞めました。
自分が煙であることにいち早く気付いたからです。
自分のしてることの愚かさに気付き、すっぱりと辞めました。
正しい選択でした。

本日またお店を訪ねたのは、みなさんに直接お聞きしたかったからです。
どうして辞めないんですか?
煙の分際で、続けることに一体何の意味があるんだろう。
この疑問は、この一年間ずっと私の頭から離れません。

教えてください。
価値はあると思いますか?
意味はあると思いますか?
将来があると思いますか?
なぜ続けるんですか?
なぜ辞めないんですか?
なぜ?

教えてください。お願いします。


 

A. 好きだから & 楽しいから

 

私も煙なんだろうなぁ~とか思いつつも…。

でも辞めることが「正しい選択」だなんて全然思えないのです。

煙のくせに?

煙はやっちゃいけないんすか?

何のルールっすかそれ?

って感じです。

 

価値があるからやるの?

意味があるからやるの?

未来が想定出来ているからやるの?

 

いや。

 

…もともと「うちはそういう家じゃないんだ!!」って怒鳴られながらやってきた自分です。

実際、月に10万とか20万とかポンと払えるような家じゃなかったですし。

 

下手すりゃ家買えちゃうくらいお金かけて音大を卒業しても、辞めてしまう人がたくさんいることを知った時の衝撃。

も…勿体無い!!…と思ってしまうのはきっと育ちが違うからなんでしょうけども。

 

この手紙のくだりで、「んじゃ、なんで今までやってきたの?」と、逆にとてつもなく不思議に思いました。

煙のくせに?

 

「煙じゃない自分」だと思ったからやってきたの?

と突っ込みたくなる、ひねくれ根性な私。笑

 

他にも「椅子取りゲームで負けたのに座っている」なんて言われてましたけど…私は目の前にある自分用の椅子に心地よく座っていたいです。

↓参考

 

若い時、「椅子取りゲーム」の意識がめっちゃ強い人がいて、本当同じ空間にいるのがしんどかったです。

そこまでするか?という嫌がらせ。

本人も幸せじゃないんでしょうけども。

 

自分で勝手にルールを作っていると、それを目の前で破る人を責めますよね。

…って、私自身も真面目ちゃんだったのでルール違反する人に対してキツかったですけど(←「男子ちゃんとやって!」タイプ)。

 

「煙のくせに」続けてはいけないルールなんて本当は無いのに、資格がないように感じて辞めていく人もまた、勝手なルールに縛られているのでしょうね。

 

みんながみんな超一流の演奏だけを求めているわけじゃないのですが。

 

…と、ポケモンを始めてつくづく感じています。笑

戦い方が無数にあって、どのポケモンを使うのか?どの技を覚えさせるのか?努力値はどうふるのか?とか色々と考えつつ、人のバトルとかも見るわけですが…なんていうか、もう世界大会レベルの人とかのバトルはレベルが高すぎてわかりません。w

 

今の自分に合っているものってありますよね。

 

きっと人生も、その時その時の自分にあっている椅子があるのではないかと思うのでありました。

周りの人は「あの椅子に座れるようになるべき」とか「あなたはこの椅子に残りなさい」とか色々言うのですが、自分のおしりに絶妙にフィットする心地よい椅子は自分の感覚で見つけるものなんでしょう。

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