商業と芸術の壁を熱量で超えられたら楽しいだろうなぁ
コンサートチケットが即日完売。クラシック界では異例のこと。
…というアナウンスに、やはり基本的に需要無いんだよなーとか思ったりしたこないだ。
でも、むかーしやっていた音楽が今もまだ残っていて一部の人を魅了してやまないのはそれだけの魅力があるのだということ。
ただ、その魅力を理解するにあたって「わかりやすさ」は欠けているのかもしれない。
という自分も、クラシックも楽しいかも?と思えるようになったのは中学生になってから。
ようやくベートーベンの三大ソナタあたりをさらい始めたあたり。
(…といっても、将来はピアノ科に進みたいんです!っていうレッスンは受けていなかったのできちんと仕上げてません^^;)
それまでは、宿題は最低限こなしていたけれど、ゲーム音楽を弾いたり、ラジオ体操を弾いたり、好き勝手に自分のその場の思いつきで音を鳴らしている方が好きで、ハノンだとかなんだとかは正直苦痛だった(笑)
わかりやすくないと受けない。
「私たちは芸術をやっている」というプライドみたいなのが高い人が、「商業演劇」とかを下に見る発言をすることがある。
お客さんに受けるものと、質の高いものはイコールじゃない。
芸を追求しているとぶつかる壁だという。
でも頑なにやっていると、とても閉ざされたものになってしまう。
同じ高校の卒業生で、伝統的な工芸品を現代風にアレンジして売り出すということで起業して活躍している卒業生がいるらしいというのを耳にして、なるほどなーとか思ったりした。
時代は変わっているのに同じことをそのまんまやっていちゃじゃダメなんです。だそうだ。
クラシック音楽はお嬢様趣味といわれがちだ。
実際、需要の無いものを追求するには、そこに多数のお客さんがいないのなら資金をどのように捻出するのか?ということが問題になる。
スポンサーは、将来自分の利益になりそうなことだから応援する場合がほとんど。
膨大な時間と莫大なお金をかけて技術を身に着けても、それで多くのお客さんが振り向くわけでもない。莫大な投資に対するリターンとしては魅力的ではない。
ましてや頭角を現すようになれるまではただの素人。
スポンサーが外部に求められない…となればやはり利益度外視で応援する家族の資金力がものをいう。
やってる人に「お嬢様」が多くなるのは必然的な流れなのだろう。
これはきっと、クラシックに限らず、技術の修得に時間やお金が多くかかる芸事の多くはそうなんだろうと思う。
伝統工芸品の職人の後継者が不足しているという。
いいものだけど、売れない。
それなりにいいものが、もっと安価でたくさん溢れている。
一方で、「ちゃんとした一級品」を創れるようになるまでに膨大な時間がかかる。
前述の、時代に合ったものにしようという姿勢には見習うべきものがあるのだろうと私も思う。
ちょっと昔は携帯の着信も○和音とかだった。
「この曲を着信にしたい…!」と思っても見つけられなかった時とかは自分で打ち込んでいた(アラサー世代あたりには通じるかな…?)
ゲーム音楽も、昔とは比較にならないくらいきれいになって。
アニメ音楽も、昔とは比較にならないくらい複雑な構成の曲とかがある。
簡単に耳コピできない。
わかりやすくもあり、その中にも光る技術。
8割まで磨くのはそう難しくないらしい。
残りの2割がものすごく大変らしい。
残りの2割を追求するのも楽しいけれど、2割に気を取られるあまりに8割を否定していると閉鎖的になってどんどん廃れていく気がする。
むかーし流行ったものは、時が経つとなんだか高尚なものになった錯覚をする。
古典の勉強でもなんでも、そこに詰まっているのはその当時の人の心だったりするけれど。
サブカルとかって、なんだか「遊び」って感じだけど、古典だって当時の「遊び」だ。
いかに「遊ぶ」か。
いかに「巻き込む」か。
スパルタ教育とか、ヒステリックな指導者とか今もきっといっぱいいるんだろうけど(私もそういう先生に習ったこともある)、なんかもっと、楽しく出来る気がする。
内発的な動機が溢れてしょうがなくなるような。
人の心に火をつけるような、そんな音楽。
「面白い」って感じる人が増えるほど、経済もまわる。
そうしたらきっと、一部の人だけが出来る「お嬢様趣味」じゃなくなっていくんだろう。
そうしたらきっと、質だってどんどんあがっていくんだろう。
「へぇ~、クラシックやってるんですね。高尚な趣味をお持ちなんですね^^」
っていう、独特の距離感とセットじゃなくて、熱を伴った「なんかかっけぇ~!」っていう感じとセットになるようになればいいなぁと思っている。
ダンスみたいなノリで。
…ダンスって、目に見える部分の美しさを追求するからなのか「お客さんを魅了する」っていうところにだいぶ初期の段階から意識をもって練習するけれど、なんか…クラシック音楽ってそういうのが導入の段階では特に足りていないような気がする。
客席の一番奥の席まで…とか、お客さんがノれるように…とかの指摘をされるようになったのは、私の場合、だいぶ後。
それまでは「正確さ」を求める訓練が主体で、「お客さんとコミュニケーションをとる」類の指導を受けた記憶は殆ど無い。
そもそも私が生の舞台を見に行ったのは、高校の芸術鑑賞会が初めて。
10代の頃から数千円のチケットを買って劇場に足を運ぶ…のは、たぶんある程度の社会階層以上の家庭が多いのだと思う。
そんな環境の違いから家庭の文化資本によって将来に抱く夢も違うのだと思うし、例えば「オペラ歌手になりたい」という夢を10代のうちに明確にイメージ出来る子というのは、ある程度「恵まれた家庭」の子が多いのだと思う。
歌うのは楽しいと思いつつも、オペラもろくに知らないで教育学部に入った大学1年生の頃、新歓コンサートで先輩たちの演奏を間近で聴いて度肝を抜かれた。
(後に、学部の中でもトップクラスで歌える先輩達と、二期会の研修所も終わっているような先輩が混ざってのコンサートだったのを知ったのだけども。)
なにこれすっげえぇぇ!!
このサークルに入ればこんな風になれるのか!!
という憧れで、即決して入部。
…思うに、殆どなーんも知らなかった人間がこうして興味を持つのだから、クラシック音楽にはまだまだ「人の心に火をつける可能性」がきっともっとあるような気がしてならない。
なるべく本物に近いものを、生で体感する機会があれば、人の心に火がつくんじゃないかなと。