エッセイ,  音楽

ゾーンに入るあの感覚

どんなに器楽的な技術が高くても、心を打たない演奏がよくある。

というか、たぶん、心を打つ演奏を出来る人の方が少ない…のかな?

それは、私がただ単に贅沢になってしまったからかもしれないけれど。

 

キレイだけど…「上手い」だけ。

 

同じく耳の贅沢な後輩が、

「あの人は上手いんですけど…なんであんなに内容が無いんでしょうね。」

って口にしているのをきいて「(手厳しい…!!)」と思ったけれど同意してしまったことがあった。

 

「性格の悪いやつにいい演奏は出来ない。」という人がいる。

一方で

「性格悪くても上手いやつは上手いよ。」という人がいる。

 

私としては、器楽的な技術に性格は関係ないと思う。

上手い人は、上手い。

そもそも「性格が悪い」という表現も何を持って「悪い」とするのか?は難しいと思う。

 

でも思うに、『ブルー・ジャイアント』風に言えば、「自分の内臓をひっくり返して演奏出来るかどうか?」とか、「音楽とつながる」というところに何かこう、器楽的な技術を超えたものがあるのかなと思う。

そして、そうなれるのかどうか?と、そうなった時に光る何かがその人にあるのかどうか…なのかな?

 

性格が悪い…というのは、何らかの事情で歪みを持っている人だったりする。

でもその歪みがそのまま作品にあってしまえば、「意図的に創った表現」ではないにせよ、そのままで成立してしまったりもする。

脚本にも「あてがき」というのがある。高校演劇なんかだと多いけれど、役者の素に近い役でそのまま脚本を書いていく。

何が人を惹き付けるのかはわからない。

良いは悪いで悪いは良い。

なんて。

 

長く音楽をやっていると、「ゾーンに入る瞬間」に出会えることがある。

空気の動き、筋肉の動き、触覚や聴覚などの五感…脳裏に描く映像…その全てがものすごく繊細に感じとれる。

そして、次に何をするのかがもうそれはそれは明確にわかって、ほとんど自動的と言っていい感じで進んでいけるような感じ。

自分は自分なんだけども、分断されていたものが全て融解するような一体感と、ただの媒体になった感じがする。

心地よい高揚感がありながらも、冷静に自分を見つめているもう一人の自分。

…みたいな。

 

たぶん、これが、音楽とつながるということなんだろう。(人によって感じ方はちょっと違うのかもわからないけれど)

そして、その作品に寄り添う自分の心が音楽と一緒に動いて、自分の中から全部それが出てくるのがクラシック音楽的な内蔵をひっくり返した感じなのかな(『ブルー・ジャイアント』はジャズ漫画です)。

 

(今はあんまり書いてないけれど)曲を書いている時も、曲が「予めそこに存在する感じ」の時と、「意図的に作る」時がある。

「予めそこに存在する感じ」の時は、自分はただ、楽譜に書き込んでいく事務的な作業をしているだけ…という感じで、あとで見返すと「自分で創ったとは思えないいい曲」になっていたりする(自分で言う・笑)

 

「私が!」とか「私は!」っていう力みがなくなったところに心地よい世界がある…というのは宗教的にも言われることなので、全部つながっているのかもしれないなぁ…なんて思いました。

 

いつでもゾーンに入れたらさぞかし心地よいだろうに…(๑´ロ`๑)

…と思いながら、今日も地味に地道に練習します。

おしまい。

 

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