エッセイ,  音楽

声の薬:ベルカントものから声楽の訓練について考える

1~2時間の練習の中で、コンサートに向けて色々と歌いまくっている時とは声の疲労度があからさまに違う。

ずっと歌えそうな感じ。

器楽的な理想値に近くなれば近くなるほど疲れないように思う。

 

そしてふと思う…

だと思った。

 

少なくとも中学校の合唱の授業において、真ん中のドのオクターブ上のドをキレイな声で歌える子がそもそも少ないのにもかかわらず、普通に高いドから始まるような曲だとか、それらを軽く超えるような音域がバンバン出てくる教則本が「初心者向け」になっている。。

なんというか「もともとある程度声が出ちゃう人」しか対象にしていないのだろうかと…。

疑問。

 

声楽の何かの本に「最初は6音くらいの訓練からはじめること」と書いてあったけれど、そういう基礎からしっかりとテクニックを構築していくというのがそもそも無いなーと思う。

「いい声だからやる」と学習者が限定されてしまうことや、「声が出さえすればいい」という意識で学習をスタートさせること自体が、あまり好ましいことだとは思えない。

声楽教師でありながら「なんで出ないの?」というセリフを生徒に口にする人がぼちぼちいると聞くけれど、「テクニックを学んでいない」ということをよく表していると思う。

 

「もともと声がでちゃう系の人」にも程度に差があると思う。

私もある程度その系統の人ではあったけれど、ポップス※だったら基本的になんでも歌えてもアリアとなると話は別…という、「クラシック歌手としてはすぐに商品になるわけではない微妙なラインの人」だった。

(※ロックのがなりは出来ません)

 

とかく音楽はセンスのある無しを問題にされることがあるけれど、声楽においてはその程度が他の楽器に比べてもとても大きいように思う。

適切な筋肉のトレーニングと「器楽的に正しい動き」を身につければある程度のことは出来ると思う。身体構造は変わらない。骨格だとかの器質的な問題が問われるのはもっとずっと後なんじゃないかなぁと。

 

「よくそんな細い身体であんなに大きい声出ますね」ってよく言われるけど(こないだも言われたけれど)、「毎日歌ってますから~」って返事する。

毎日適切な訓練を積めば、みんなに可能性はあるのだ。

 

 

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