演奏はお客さんとエネルギーの交換をすること
「お上手でした」とかは誉め言葉なんだけども、ちょっと高揚したテンションで「感動しました」とか、うるうるしてる人がいると心でガッツポーズする。
何かしら、その人と共有できた感じ。
演奏は観客とセックスするようなものだというけれど、求めているのは共に感じることなんだな。— 美樺桜歌(Mikaba Ouka) (@mikaba_ouka) July 10, 2017
…と、3人も子どもを産んでいるとセックスという単語を使うことに抵抗も無くなってくる(笑)
学生の頃はとにかく「上手くなりたい」ばかり思っていましたが、「上手い」と「人を惹き付ける」ってイコールじゃないんだなぁ…ということに気がついたのが20代前半だったか半ばだったか…?
それは役作り的な部分なのかな?と思って、研究生最後の年はそういうのが大きく要求されるもの(ヴィオレッタ)を勉強したけれど…なんというか、その人が持っている固有のエネルギーのようなものもあるよなーと感じるこの頃。
何の役をやってもその人にしか見えない役者
と
同一人物とは思えない程に豹変する役者
がいて。
後者の技術の巧みさ…というか、見事に、演じる役の「振れ幅」にどこまでも自分を変えることが出来ることに圧巻なのだけれども、そもそも何か…自分とは違う人物を演じていても薄くならないエネルギー感を持っている人と持っていない人というか、そういうものもやっぱりあるなとも思うのです。ものすごいエネルギー量の多い役を演じた時に差が見えるというか。
ライブとかやっていても、「上手さ」と「ファンがつくかどうか」って、イコールじゃないなぁ…と。
そう変わらない力量であっても、圧倒的にファンがつく人っていますよね。
演劇部で高校生にして既にファンがついてる子とかもいたのですが、なんというか、凄いスター性だなと思いました。
彼が舞台に出てくると舞台全体の空気感が変わるんですよね。
どこかのブログで、エネルギーの量が人を惹き付けると書いている人がいましたが、なんだか頷けるような気がします。
その方は、それぞれその人固有のエネルギーの量があるとか書いてましたが。
これは私の私感ですが、技術を身に着けることって、その人の持ってるエネルギーを集中する技術でもあるのかなと思うのです。散漫としているものをまとめるというか。
でも、ポピュラー音楽だとより感じるのですが、上手いからファンがつくわけじゃないじゃないですか。
ピッチも悪くない、リズム感も悪くない、フレージングも悪くない、言葉もちゃんと聞こえる…けど、なんだか物足りない。とか。
上手いから足を運んで聴きたいと思うわけじゃなくて、そこにいくと何か…癒やしだったり・元気をもらえたり・リフレッシュできるから足を運ぶんですよね。
それって何のかな?って思ったら、その人の発しているエネルギーなのかな?と。
演奏は観客とセックスするようなものだと言っていたのは、誰だったか…著名な演奏家でしたが、「エネルギーの交換」って捉えるとわかりやすいかなと。
より大きなエネルギーを扱えることが、たくさんの人を魅了することに繋がっているのかな?と。
もし仮に、その人固有のエネルギー量があるとするならば…
その人が持っているエネルギーの量が同量の場合、より効果的にそのエネルギーを扱える技術を持っている人の方が魅力的にみえやすくて、
その人が持っているエネルギーの量が異なる場合、結果的には技術との総合点で勝った方が魅力的にみえやすい…なんて??
政治家でもなんでコイツが…って思う人がたくさんいますけども(爆)、その人の人格的な資質云々以前として、その人のエネルギーに人が惹きつけられているのかなぁ…?なんて思ったりしたのであります。
エネルギーの量…スター性・カリスマ性…とかそういうもの。
世の中を見渡すと必ずしもそのエネルギーが人にポジティブな影響を与えるということではなくて、でもエネルギーの量が大きいと人を惹き付けるという感じのものとしては存在するのかなぁ…と。
スター性のあるオペラ歌手って、技術もそうですけどなんか、そういうエネルギー感がすごいような気がします。
というか、両方揃ってないとそのポジションにはいられないのかなと。
とりとめもなく、雑感でした。