エッセイ,  技術的なこと,  音楽

「息を流す」じゃなくて「流れる息に響きでのる」

「合唱っぽい声」と言われる声

合唱とかでよく「息を流す」とか「まっすぐ歌う」とかいう指導があるんですけど、あれ、指導者の意図がどう伝わってるのかわからないんですけど、結果として息が多すぎになる場合が多いんですよね。

いわゆる「合唱声」。ポップス的に言うと息漏れした声ですかね。

※「合唱声」っていうのは、そもそも学校教育の現場にて教諭が「それに沿って教えなければならないもの」として存在する学習指導要領の中に「頭声的発声で」という文言がかつてありまして、、その名残なのかなと思うのですが、「頭声的発声=胸声・地声は使わない」という考えに結びついたと思われる声のことです(私はそのように解釈してます)。

…そのそもこの「頭声的発声」というものが何を意味しているのか?というのも全く一般化していなくて「意味不明」ということで今では削除されております…^^;;。

「息を流そう」とすると、息の量をたくさん送るようにしてしまうケースが散見されて、声帯を振動させない無機質な声になってしまったりして、歌った感じとしての自由度は決して高くないのです…。

そして、空気って常に動いているのですが(くるくると円を描くような連続した動きで)、それをあたかも直線的に動くようにイメージをしてしまうと、現物との動きに相違がでてしまいます。

空気はつかめない、直接コントロールができない、「捉えられないもの」であるにも関わらず、「まっすぐ歌おう」と自分の意思によって直接のどでコントロールができるかのように違ったイメージを持ってしまうのですね。

「クリアにまっすぐ歌っているように聴こえる」のと、実際に歌っている人間がそうしようと思ってそのようになる…というのはイコールではありません。

もちろん、一人ひとり「言葉からイメージするものも違う」という大前提によって、言葉がけひとつでその効果は多種多様ですが。

大学2年の時、まさに合唱の模擬授業を担当した時に私が「まっすぐ声を飛ばす」と言って先生(師匠)に超キツくダメ出しされました(懐かしい・笑)。

…当時はまだ技術がなんなのか、師匠のおっしゃっていることも「???」って感じでしたが、今思えばトンデモ指導でございましたw

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結果と原因は違うという当然のこと

「結果としてそうなる」という状態であるにもかかわらず、それを直接的に「やれ」と言うと、初心者の場合だいたい違う方法でその「結果」を求めるような動きをしてしまいます。

「もっとお腹で支えて!!」と言われてお腹をかたくするのとか最たるものですね。

「ピッチが悪い!!」

って指摘しただけでピッチ直るんだったら苦労しねぇよ。っていう。

「もっと本格派オペラの歌声にして!!」

って言われて声変わったら苦労しねぇよ。っていう。

…あるあるでしょうか。

流れる息に響きでのる…というのは、声帯の振動を適切にはじめるということです。

「響かせる」のではなくて「響く」ようにします。共鳴を阻害する要因を作らないことが大事です。

欲しい結果について「結果になれ結果になれ!!」と思いながら練習するのではなく、「結果になるように」原因のところから練習をするのが近道です。

何を優先するのか?

また、合唱と声楽は発声が違うという意見がありますが、合唱を歌おうがソロを歌おうが、歌っている本人の身体構造は変わらないので、基本のテクニックは同じです。

ただ、合唱の「いい声」とされる声は、声楽やポップス的な視点で見るとむしろ息漏れしている声の場合もあるのかなと思います。

10年前は合唱で関わっている人の言うこと…と、声楽で師匠に言われることにかなりの乖離がありました。

やはり「そこまで技術を磨く期間のないメンバーで、その曲に統一感をもたせて舞台で歌う」ことを優先するのと「技術を土台からしっかり組み立てていく」ということを優先するのとでは違いがあったのかもしれません。

…合唱界から離れて久しいので、最近のことはわかりませんが。

「歌を歌う」ということの基礎をマスターできれば、合唱でも声楽でも、ポップスでも、ジャンルを超えてだいぶ多方面に応用がきくと私は思っています。

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