エッセイ,  雑感

努力は裏切らないとか報われるとか言うけど

こないだ、努力が報われなかったことを嘆いている人がいたのですが。

思ったんです。

 

努力をしたことでわかりやすい何かを得て「報われること」…というのは、それを求めて努力している時点で、本当に望んでいることに気がつけていないことがよくあるように思うのです。

努力に何か…喪失するようなニュアンスが伴う時、人は自分の心に嘘をついているように思うのです。

 

 

自分の心に問うこと。

自分が本当に望んでいることはなんだろう?っていうことに敏感になること。

 

って大切だなと私は思っていて。

 

もちろん、色々な事情があるから全てが全て思うとおりになんかいかないけれど、ひとつひとつを選ぶのは紛れもない自分で。

その選んだことに、己自身が誇りを持てることって満足度の高い人生に繋がるんじゃないかなと思うのです。

 

被害者意識を持っていると、人生の主役であることを手放しているようで。

「何かのせい」にした瞬間、自分を無力化するようで。

 

たぶんだけれど、人が大人になる過程で、無力化されるような働きかけにたくさん出会うと思うのです。

…でも、自分の心を縛ることが出来るのは紛れもない自分自身で。

「自分にはもしかしたらこれが出来るんじゃないか?」ということに気がつく人がもっと増えたら、もっともっと豊かさが循環する社会になるような気がするのです。

一人ひとりは微力でも。

「どうせ」が重なり合う社会よりも、圧倒的にいい未来になるような気がするのです。

 

「どうせ」と思うきっかけって、内発的なものよりも元を辿ると外的な要因が多くて。

 

私は体育が出来ない子で、小学校の時は「体育が嫌い」だと思っていたのです。

バカにされるから。

…でも、剣道部に入って、黙々とやって、昇段審査とかで段をもらったりもして。

自分が自分のペースでも、喜びを感じながら変化していくことが出来ることを学ぶと、別に体育も嫌いじゃないんですよね。

 

人よりも変化のスピードが早い、遅い…とかいうのはあるけれど、ただそれだけのことで。

大切なのはもっと、自分自身の内側にあって。

自分が、自分の「持ち駒」をつかって何をしたいのか?ということで。

どういう時間を過ごしたいのか?どういう感情を味わいたいのか?ということで。

 

そういう自分自身と向き合う姿勢のある無しで、たぶん物事の捉え方が全然違うんじゃないかなと。

 

豊かさって、「所有」じゃなくて。

きっと魂は「分かっている」んですよね。

それを思い出していくのが人生なのかな。なんて。

歳を重ねる度に、気がついて、手放して、生きるのが楽になっていくように。

…で、思い出させてくれるために色々なことが自分におこるのかな。なんて。

 

「何が必要かはすでに自分が分かっているはずじゃ。」byヨーダ

 

みたいな。

とりとめもなく。

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