技術的なこと,  音楽

「周りの音をよくきいて!」の罠

音は聴こえてくる

「周りの音をよくきいて!」

っていう罠。

 

合わせようとか思って聞きにいくと、時差があるのでズレる。
ってか、周りのダンス見ながら踊ってる人ってズレるじゃん?
同じですよね。

 

一人一人が自分のブレない軸をもって、音楽のビート感にのって踊って、結果的に「合う」。
っていうのは、「踊って」を「歌って」に変えても当てはまる。

 

昔、合唱コンクールの練習をしていたとき、やたら響かないもこもこした歌を歌うクラスがあった。
「周りの音をよく聴いて!」みたいな指導がたくさんあったのかな?というような、クソ真面目な顔をして近くの音を必死に聴きながら歌っている感じ。

「耳の使い方が違うよ。」と、手を叩いてから跳ね返ってきた音を指して、「この返ってきた音がきこえてくる状態の耳で歌うんだよ?」と指示したら、ガラッと歌声が変わった。

 

「結果」から「見てくれ」だけを真似ても仕方がない

聴きに行くのと、聴こえてくるのとでは違う。

 

真面目にやんなきゃ!みたいに思いすぎると、五感が解放されていない状態で歌ってしまうことがよくある。

かなり感覚を鋭敏にする必要があることをやっているのに、そういうモードだと筋肉が柔軟に動かなかったり。

 

日本では(←外国はわからないので)「立場にふさわしい態度」というものが決められているシーンがたくさんある。一見すると「ピシっとして」、「静止して」、「かたくなっている」…ような。

見てくれとしてそのように振る舞っていれば「ふさわしい態度」とされたりする。

 

…が、本来の姿…手本とすべき達人が構えているその姿は、一見すると「止まって」見えるが、それはかたくなってはいない。

達人の静止は、繊細な動きの先にあるもので。だからこそ隙きがない。

「どこへでも動ける」状態だ。

 

…そういうのがまだ認知できない時は、静と動のわかりやすいところしか目に入らないけれど、本来目指すべき動きはむしろ「高速に回転している駒が安定するような動き」としての「静」なんじゃなかろうか。

 

わかりやすいものが近道とは限らず。
目の前にあるから、それをどうにかすればいい!と思いきや、それをどうにかするには全然今の目では見えないようなことに着手しないと解決できなかったりする。

その道筋を示すのもまた指導者の役割なのだろうと思う。

 

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です