エッセイ

音楽の専門教育を受ける前に「足切り」

負け犬の遠吠え?なのか、なんなのか、はたまた一方では「環境が恵まれていただけでずるい」と言われていたからなのかなんなのか、色々と音楽家が育成されていく背景について考えたりする。

なんだかんだ私は教育学部を出た人間なのだなと思う。

 

教育格差…というか、育った環境による経済・文化格差について、何か多少なりともそれを是正するような活動があるのなら、人生の中で取り組みたい。

またそういった格差に自覚もなく、上に立ったものは努力などの自己責任ゆえであると、その階層の正しさを主張する風潮についても、なんなんだかなと思ったり。

 

実家の「太さ」なくして音楽はそもそも習えない

なぜ音楽の「天才」は東京藝大を頂点とする秩序から排除されるのか

というのを読んだ。

 

日本の(西洋)音楽の背景は本当、実家の「太さ」ありきだと思う(「実家が太い」=「実家が経済的に豊か」…という意味でネットでつかわれている)。

 

私の父親は元検察官だ。

「なんだよ金持ちかよ」と思われただろうか。

一般的にはそれなりにエリートであろうと思う。

 

でも、受験生の段階で月10万~くらいかけるのが珍しくない世界において、検察官の年収は決して高い方ではない。

家のローンや、兄弟もいて学費などを工面していたらそこまでの余裕はない。音楽系へ進もうと思ったら「年収1000万だとギリギリ」と言われている。

■参考→発言小町より「音大進学にかかる費用、実際は?」

↑音楽をやる人達の世界というのはこういう世界だ。音大生におけるヴィトンのバッグ使用率は異常としか言いようがない(え?なに?指定バッグなの??)。

 

…しかも父親の背景は、ド田舎から学力一本で新聞配達をしながら上京してきて、司法試験の勉強とバイトを両立ながら試験にパスした苦労人。卵は殻をすり潰して食べていた家庭の出身である。

 

育った家庭が貧しいと、考え方も貧しい。

金の使い方も遊び方も知らない。

 

…というわけで、実家には観劇やらコンサートやら美術館などに足を運ぶ文化はない。

私は「西洋音楽をやる家庭の普遍的な階級に根差しているような文化」を知らない。

…のに何故かクラシック音楽のソプラノを歌っている…。

 

(茶色い文字は私の育った家のエピソードなので省略可。)

ちなみに、家族旅行も人生で一度だけ(無論国内)。しかもどこかをまわった記憶もなく、泊まっただけ…??漫画本とか読んで過ごしていた(笑)←遊び方を知らないとはこういうこと
小3の時。…旅館の廊下にパンツを落として届けられた恥。(笑)

感性が貧乏人というのはどういったら伝わるだろう?
街で配るティッシュを往復してもらって喜ぶ、そういう感性…というとなんとなく伝わるだろうか?

父は貧しさに対する恐れと、自分の貧しさから脱した成功体験から、子供らにも同様の道を半ば当前として期待していたので、「体育以外オール5」も取れない、「学年1番」にもならない、「地元トップ高校」も落ちた自分は強烈な劣等感と無価値観で病んだりもした(ちなみに公立高校に落ちたので私立の専修大学松戸高等学校へ通った←こういったところでもお金を使わせてしまった申し訳なさがあった)。

 

「東大とは言わないが、早稲田か慶應か…せめてMARCH。」

そういう勉強さえできれば食っていけるという学歴主義の父親の価値観の中で、ピアノは唯一、少し余裕が出てきた親の厚意…のようなもので「何か趣味があれば…」と習わせてもらったものだった。

 

中学生の頃、音楽でいきたいと言ったときの父の激昂ぶりは凄まじかった。

「そんなつもりで習わせたんじゃない!うちはそういう家じゃないんだ!!と。

 

実家の太さというのは何も経済的な豊かさだけじゃなくて、経済的な豊かさを享受することで育まれた文化やそれらへの理解も含むのではないかと思う。

そういう意味で、うちの実家は太いようで決して太くはないし、勉強さえできれば「生きていける」という価値観だった。金になら無い音楽などは穀潰しのやる「道楽」だった。

 

…が、

音楽大学に進むような階層の人達(資産家や経営者などの割合が高い)とは実際、資産・文化的背景はだいぶ違ったものの、平均値よりは経済的に恵まれていたのもまた事実。

冒頭にも書いたように、「環境が恵まれていただけで」ということを言われたりすることもあった。

 

大学の音楽専修の学生も、なんだかんだ太いご家庭で育った人が多かった(お琴習っていたり、バレエ習っていたり、趣味は乗馬やお花…なんて)。一方でバイトしないと!!という人もおり、差が凄かったなという印象。

 

以前もちょっと書いたけれど…一般大学だったから他の学部の人や他の専修の人とも音楽をしたけれど、とても正直な感想として、音楽専修の学生よりもセンスのある人間は普通にいた(爆)

…普通にたくさんいた。うん。

 

先程紹介したリンクも、「天才が排除される」とあるが、そもそも論として才能があるから藝大・音大等に進めるというわけでは無い(爆)。

部活というシステムの中でスキルと高められる体育の学生はそこまででもないのだけれど(それでも強豪校はお金かかるけどね)、音楽の学生は「実家の太さ」を基準に足切りが存在している…というのが実情だろうと思う。

したがって、経済的足切りを免れた僅かな層のみで専門教育を受ける集団が形成されているのであって、当然持って生まれたセンスのよい人間の割合はだいぶ下がる(爆)

 

例えて言うと、先生の指示に対する瞬発的な反応の良さ…というのはかなり上達における重要なファクターなわけだけれど、体育の学生はあからさまに反応できないような人は混ざってないのに、音楽は混ざっている(すごいキツい書き方だね)。

「入試までの10数年の時間的経済的投資」を前提に選抜しているので、基本的にその多くは秀才である。

 

…と、私、ものすっごい反感買いそうなこと書いてますね。ええすみません。

でも、事実ではないかと思います。(急に「ですます調」)

 

(文字色違うところは私個人の話なので飛ばしてOK)

ちなみに私の母校は文教大学教育学部音楽専修です。

…ここの一般入試は大変珍しく、学力試験が第一関門の合否基準です。

学力で選別した後、実技が基準以上なら合格できます。

他の教育学部は実技に配点があり、学科試験と同等か、むしろ実技の配点が学科の倍だったりしました。国立大学も。

無理ですよね。ええ。

カネがないけど音楽を勉強したい人は文教大学の音楽専修を受験してみませう♪ヽ(=´▽`=)ノ♪

学費は音大のおよそ半分です。

ワンレッスン一万円以上するようなレッスンはとても受けられない。音大の学費は厳しい。…そういう私みたいな人間でも入れる可能性がある唯一の大学が文教大学音楽専修だったんじゃないかなと思います。

本来音楽大学等にいくには、私はレッスン費を払えない「足切り」対象の人間でしたが、入試のシステムと、ボランティアで補講をしてくださるようなピアノの先生と、学校の音楽の先生のサポートもあって、たまたま幸運に恵まれて今に至ります。

ちなみにコールユーブンゲンも楽典も独学です。

…まぁ、楽典での入試は落ちたので現代文・英語・生物で合格しましたけれども(笑)

 

放置される「環境があれば伸ばせる人材」

今まで続けてきたから出来るようになったことはたくさんありますが、今しか知らない人は「もともと出来た人」だと私のことを思ったりすることがよくあります。

…でも、そんなことは決して無いんですよね。

 

↓これは私の大学時代の成績w(ここまで晒すか!w)

 

見てもらえばわかりますけど、1年生から4年生になるにしたがって実技系の科目の成績がどんどんあがっていく様子がわかります(器楽がピアノ。○○法研究はいわゆるゼミ。)。

 

入学当初、下手だったんですよ。本当。

特にピアノ。

歌は、剣道部で鍛えた所謂「でかい声」でw

ツェルニー30番の後半で王道のエチュードの教材はストップしていて。

バッハは受験前に2~3曲さらっただけ。ソナタアルバムも、受験前に2~3曲さらっただけ。(うち一曲は受験曲)

…という。

ポピュラー音楽とか弾いてたので。

 

声楽曲もコールユーブンゲンは独学。コンコーネはほぼ1番だけ。イタリア古典歌曲は5曲くらい?あとは受験で使ったベッリーニ1曲…くらい。

とても一般的に音大とかを受験する人間の学習量ではなかったわけです。

こういう、普通の習い事レベルで月謝1万円くらいで「趣味でやってきました」みたいな人間は、そもそも大学の受験対策のスタートラインにすら立っていないんですよ。普通はね。

 

…って考えると、「なぜ音楽の「天才」は東京藝大を頂点とする秩序から排除されるのか」って、ものすんごい当たり前ですよね。

いや、「才能のある人間がいない」とはいいませんよ?

でも、「足切り」の基準が実家の太さなんですもん。

自分は「(やんなくても出来るという意味での)天才」では決してありませんが、でも、少なくとも「やればそれなりに伸びる程度の素材」ではあったわけです。

でも、本来私みたいな人間は基本的には望んでも勉強すること自体が出来ないんですよ。

受験対策に必要なお金が払えないんですから。

私の場合、たまたま人様のご厚意に助けられただけで。

 

「音楽専修行きたかったけれど受験できなかった」っていう他学部の学生とも一緒に活動しました。

彼女は歌だけだったら音楽専修の学生の平均値より遥かに上手かったです(たぶん学年で1番か2番くらいには歌えたんじゃないかな)。

…でも、ピアノ結構弾けなきゃそもそも受験できません。ピアノ習うにはお金がかかります。楽器揃えるのにもお金かかります。

練習環境も必要です(私は実家では音だし不可だったので音楽室を借りたり、カラオケ行ったり、ヘッドフォンで練習してました。)

…こういう前提条件をクリアできなかったけれどセンスのある人達は、そもそも専門教育を受けられません。

 

やれば伸びる人、その伸びしろが藝大生・音大生を凌ぐ人はたくさんいます。

4年、同じ環境で学べたらゴボウ抜きするような人はそこらじゅうに眠っているでしょう。

「足切り」になる人達の割合を考えたらその数はかなりのものだと思います。

 

声楽アンサンブルをやる部活で後輩指導や学指揮をしてましたが(顧問は二期会の研修所でも教えていた声楽の教授でボランティアで指導してくれた)、4年間で音楽専修の学生よりも歌えるようになる子は普通にいました。普通に。

 

勿体無いですよね。

すごく勿体無いです。

入試のシステム、もっと幅があってもいいんじゃないかな?と思います。

もっとも、「足切り」で弾かれるような人は基本的には業界にいないので問題意識を持つことも無いのかもしれませんが。

…もしくは、そういう環境だからこそ残れたレベルに位置する人は今のままがいいと思うのでしょうけども(毒)。

 

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