心理学/人間関係

発達障害キャンペーンに思う

生まれつきの感覚の違い

今、発達障害キャンペーン?をやっているらしい。

…そこで目にする内容が、どうも身に覚えがありすぎる。。笑

だからどうということは今更ないのだけれども、もっと早くに…学童期に知っていたら違ったのだろうなと思う。

 

ガールズトーク苦手で。
小5の時、悩みごとを話されて、解決法を示したら「そういうのは求めてないの!ただ話を聞いてもらいたいの!!」って怒られた。

…え?
悩んでるのに…??

と思って、想定外の相手の怒りに戸惑ってしまったけれど、こういうのも「あるある」らしい。
大人になるまでの偏食(感覚過敏に由来)も、聴覚過敏も、私もあるけど「あるある」らしい。

 

そもそも「五感で受け取ってる情報」という時点で違うんですよね。

「何を受け取っているのか?」が違えば当然、行動だって違って然るべきで。
でも、そういう風に人と違うことを「変」だとか「ダメ」だとかなんだとか言われまくるうちに、すごいストレスを感じながらも合わせたり。

偏食ひとつとっても、「躾がなってないから」だとか「我が儘に育てられてる」だとか言われてましたが、もう口に入れた瞬間に吐き気がするわけですよ。
「好きなものしか食べないなんてけしからん!」というレベルの話ではないのですよ。

でも、何か言っても、ただ我が儘を押し通すために大袈裟に訴えているようにしか扱われないから、一人静かに息を止め、吐かないように牛乳で殆ど丸呑みするんです。

今は教育学部で発達障害についても学びますし、人権意識も昔より多少はよくなってきたので「お残し禁止」指導もだいぶ減ってきたようですが。

 

みんなが平気な音がとてつもない爆音に聞こえたり、あるいは黒板を爪でギーってやるような不快な音に聞こえたり。

日常レベルがこういう不快な刺激を我慢することの連続で、それらを乗り越えてやっとそれなりに「普通に見えるように」振る舞えるという現実があり、でも「(定型の人達からみて)我慢が足りないと」途端に周囲の目は冷たいわけです。

わがまま
コミュニケーションスキルが低い
自己中

…と。

 

そもそも…

本当に「わがまま」?
本当に「コニュニケーションスキルが低い」?
本当に「自己中」…?

みんなが楽しそうにしている、みんなが平気な顔をしている、なのに楽しくないし、すごくしんどい。
…でも、楽しそうにしないといけないらしい。平気な顔して我慢しないといけないらしい…って。

 

女性の発達障害の人は過剰適応から体調不良になりやすいらしいです。また、自分が歓迎されない人間関係の苦労によるメンタルの歪みも。

発達障害の人に改善すべき問題があるかのような物言いをする人がよくいますが、こういうことを知った上でもそう思うのでしょうか?

ただの多数派の押しつけですよね。

 

 

日本人は自分の普通を普通だと思う

ある人にとっての普通を数の力で押し付けられてきた人が、自分がされてきたのと同様に、本人にとっての普通を「正しさ」で押し付けると、また数の力で「お前はやりすぎ」って言われることもよくあります。

というか、幼い頃の私がそう感じていました。

 

「これくらいできるでしょ?なんでできないの?」
とずっと言われてきて、同じことを口にすれば反感を買い(見下してるとか偉そうとかいう話になる)。

多数派の人達よりも凹凸が激しくて、社会的に良いという評価がつく側にいる人がそうでない側に向かって「正しさ」を主張して押し付ける…という点は何も変わらないのに、少数派に属する人間には厳しい。

 

互いに不満があるはずなのに、感覚の違いや能力の違いを前提としていない欠陥のあるシステムや物の考え方の方を改善しようとはなかなかせず、マイノリティの特性をもつ人間の方を「異常である」として排除するような思考を持つ人の多さ。

私が小学生だったのはもう30年以上前ですが、どれだけ変わったのでしょうか。

私自身も「変わってる人」と言われながらそれなりに色々あったので、基本的に互いが違う人間であるという点は気をつけています。

 

けど日本だと普段の教育から、

自分がやられて嫌なことはしない。

とか、

自分がされて嬉しいことをしよう。
と言います。

 

そもそもそこから違いますよね。

相手がやられて嫌なことはしない。

だし、

相手が喜ぶことをしよう。

ですよね。

 

なんで自分と相手がイコールだと思ってるんでしょう?

この「自分と他者は違う感覚をもった人間である」という大前提が存在しない不思議。

 

その前提の上に本来のコミュニケーションが存在するのではないのでしょうか?

コミュニケーション能力は、発達障害の人が低いのではなくて、定型の人も含めて日本人の多くがみんなめちゃくちゃ低いのではないでしょうか?

そもそもコミュニケーション以前の問題として「人から与えられた情報を鵜呑みにする」という教育環境の結果、自分の五感に鈍感で個が確立してない人が多いのかな?…とも感じますが。(話が大きくなってしまった!笑)

 

ちなみに私は診断は受けてません。

幼少期からの遊びの傾向・感覚過敏・聴覚過敏・過集中…etc.などから、そうなんだろうなぁと自分では思ってますが。

でも、身の周りに診断済みの人と、受けてないけど本人も周りも傾向があると思ってる人は結構います。

感覚の偏りからなのか、定型の人達と発達の人達はなんとなーくコミュニティが分かれがちなのかなと個人的には感じています。
騒がしいところでワイワイガヤガヤイエーイ!!っていうのは激しく疲れるので、必然的に遊び方も違うのでしょう。

 

発達障害の特性を持って現代社会の中に生きる中で生じやすい二次障害のイメージ(メンタル疾患・否定され続けたことによる満たされてない承認欲求等)もあり、なんだか世の中のイメージはまだまだ、サイコパスや犯罪と安易に結びつけられたりと決していいものではありませんが、悪意をもって人に何かするという特性は生来のものでは無いと言われています。

 

発達障害キャンペーンでギフテッドばかり紹介することに対する反発もありますが、特性をいい方向に伸ばせた姿は誰も、きっともっと心身ともに健康的で社会とも関わっていけるのではないかなと個人的には思いますし、何よりも、そういう「人それぞれ」を大事にできる社会は発達障害じゃない人達にとっても暮らしやすい世の中なんじゃないかなと思います。

 

紹介されて「なんだよギフテッドかよ」と言われる人も、誰か理解のある人が近くにいたからこそその特性を「生(活)かす」ことができていたりするので。

この人はこういう人なんだなと思ってくれる人の存在が増えますように。

 

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