技術的なこと

ヘフリガー著「声楽の知識とテクニック」から

ベルカント唱法とは何か?

よくベルカントベルカントっていうのだけれど、そもそもベルカントってなんなんだろう?という。

美しい声??それは…どういう声?と。


<以下引用>

大歌手全盛時代は18世紀であり、トーズィやマンチーニの理論もその頃書かれたにもかかわらず、ベルカントの概念はまず17世紀の理想を表していたし、トーズィは既に失われつつあるあるものを嘆いていた。美しい歌の芸術は、まず理想的な響きではなく、声のあらゆる可能性について追求した。発声器官全てを調整することによって、ピアノからフォルテ、高音から低音、ゆっくりのレガート、早いパッセージ、独特の音色、柔軟さ、響き等が訓練され、歌唱法は発達していった。ベルカントの理想がどんなものであったかを、バルダッサーレ・フェッリ(1610-1680)についてのボンテンピの記述から紹介しよう「この歌手を聞かなかった者が、彼の声の輝き、滑らかさ、最も難しいパッセージでの軽やかな動き、完璧な音程、トリルの素晴らしさ、息の長さ等を想像することは不可能であろう。しばしば早くて難しいパッセージをクレッシェンドやデクレッシェンドをつけながら歌ったりもする。時々疲れたかと思うと果てしないようなトリルが続き、半音階で2オクターブ以上も上下に動き、それらがまるで彼にとって遊び半分でもあるかのようだ」。

ベルカントの理想は既に述べた。声の輝きや柔軟さ、幅広い音域、クレッシェンドとデクレッシェンドのテクニック、軽やかで艶のあるトリル、的確な音程、息の長さ等である。

美しく歌うことや名人芸が最終目標とされたのではなくて、トーズィの「心なくしては、歌えない」と言う言葉のように、あくまでも表現の手段とされたのだった。

しかし、歌手たちはこのベルカントの技術を得るために、どのような教育を施されたのだろうか。多くの場合、11才か12才の孤児や貧しい家庭の子供達がコンセルヴァトワールに入学して歌の訓練を受けた。モデナ、パドゥア、ピアチェンツァ、ヴェニス、トリノ、ミラノの有名な学校の他、ボンテンピの教師であったドメニコ・マッツォッキのいたローマ、ポルポラやデュランテのいたナポリ、そしてピストッキやベルナッキが設立してマンチーニ等多くの歌手を世に出したボローニャ等に、17世紀の最も名高いコンセルヴァトワールがあった。北イタリアでは明るい音色、南イタリアでは少し暗い音色が好まれたことを除いては、全ての学校で6年から9年の間ほぼ同じような技術的、音楽的基礎教育が施された。また歌唱教育と同時に、楽器の習得も課された。少年達は、楽譜、音部記号、休符の読み方、ドレミ唱法等を勉強した。教師はまず少年たちに、最初はせいぜい6度音程の範囲しか無い中音域だけで練習をさせた。カッチーニ、デュランテ、トーズィは、教育の基礎に正確な音程をおいて「音を決して低すぎたり高すぎたりして歌ってはならない」と注意した。ドレミ唱法は、まず中音域で全音または半音の動きを使って練習した。特にセミトーヌス・マイウス(大きな半音)とセミトーヌス・ミーヌス(小さな半音)の練習に重点がおかれた。この音階練習の後、3度、4度の練習が正しい音程で音を長くのばして行われた。これらの練習はすべて何の楽器もない状態で行われたので、どんな小さな音程の狂いもすぐにわかった。声が安定して初めて、6度音程内で動くディミニューションやアッチェントゥスな等の数音からなるフレーズを練習することができた。これらの練習は、すべて軽いメゾフォルテで無理なく行われた。

―中略―

実際にどれほど徹底的に歌手の初心者に対して訓練が行われていたかについて、ボンテンピがローマの教師マッツォッキのもとでのある日のレッスンの模様を記している。「毎日1時間、テクニックのために難しい曲を何曲か歌う。まず一時間トリルを、さらに一時間パッセージの練習をする。そして一時間、楽譜の勉強をしてから、先生の前でヴォカリーズを歌う。その際に、鏡を見ながら身体、額、眉、口等の不自然な動きを矯正する。これ迄の練習は午前中に行われ、午後にはまず半時間は理論の勉強、それから次の半時間はカントゥス・フィルムスのための対位法の練習、続く半時間は理論の勉強、それから次の半時間はカントゥス・フィルムスのための対位法の練習、続く半時間は対位法の問題を筆記で解く勉強、そのあと半時間の読譜練習がある。残った時間はチェンバロの練習か賛美歌やモテットや歌曲等をそれぞれ作曲したりする。さらにこれらの室内の勉強に加えて、屋外の勉強もある。生徒達は、モンテマリオの近くのポルタアンゼリカにのぼって歌い、残響の中での間違いを判断する。その他、ウルバヌス8世下のローマの町の協会での音楽会に出演する有名な歌手を全部聞き、帰ってから先生に感想を述べ、先生はそれに対して解説を忠告を加えた」

 

<引用終わり>


…だ、そうです。

「既に失われつつある」と昔から言われているものなので、今現在私達が「ベルカント」って呼んでいるものも、どんどん変わってきたものなのかもしれないですね。

私も、「そもそもみんなどういう意味で使ってるんだろ?」って思ってるところがあります。

だって人によってあきらかに両立し得ない状態をそれぞれ両方「ベルカント」って呼んでいたりもするので…(爆)

 

ちなみに私の師匠はドイツ系です(←ドイツ歌曲だけ歌っていらっしゃるわけでもないのですが、世間一般的にはそういう扱いというニュアンス)。私個人はドイツ歌曲は殆どやってません。日本歌曲がやりたい!と思って研究していましたが難易度が高く…途中から純粋に器楽的な歌唱技術そのものの研究をしようとイタリアものを歌ってました。)

 

でも、当時のベルカントの音は聴けませんが、

>声の輝きや柔軟さ、幅広い音域、クレッシェンドとデクレッシェンドのテクニック、軽やかで艶のあるトリル、的確な音程、息の長さ等

というのを手がかりにすることは出来るのかなと思います。

そして

>それらがまるで彼にとって遊び半分でもあるかのようだ

という印象を与える歌い方であるということも。

 

…こういうことが可能な技術であることが確かであるとするならば、それが出来ないのであれば当時意味していたベルカントとは違うものなのかなと。

と考えると、当時の意味するベルカントで歌える人は一体いかほどでしょう…?

 

「当時のベルカント唱法の技術を身につけた環境」を超えるには

そして、これらの技術を身につける環境は、10代早期から上記のような全寮制の中で専門家によって徹底的に6~9年間訓練される…というようなものであり、「週に一回の習いごと」でできたようなものではないらしい…ということも窺い知ることができます。

…今の密度とは全然違いますね。

音楽系でちゃんとやってる学生の生活はまぁまぁ近いところはありますが、でも、レッスンもそこまでの頻度ではありませんし、ここまで厳密に「楽器を作る授業」がなされているとは思えません。カリキュラムや指導者の問題もありますし、記述されているような基礎ができてなくても「歌詞のついた歌」を歌っています。

そう考えるとベルカント唱法を身につける土台となるシステムがそもそもなってない、という話になってしまいますね…。

 

でも、これは個人的に思うことですが、ここ数年のアニメのクオリティの変化から考えるに、関わる人が増えて熱量が上がると人の進化のスピードは爆発的に早くなるのではないかなとも。

こういう爆発的進歩は「正しいこと」に拘ったから起こることではなくて人を熱狂させたから起こることですよね。

なので、たとえ今現在のクオリティが当時のベルカントの域に到達していなかったとしても、何か人の心に火がつくようなことがあると当時のクオリティを一気に超えるようなことが起こるのではないかなと期待していたりもしています。

ダンスのレベルも、私が子どもの頃とは全然違いますしね。

 

そのためには「これできるようになりたい!」っていう憧れるようなモデルがもっと身近にあるといいのかなと思います。

ジブリ作品を見たことがない人が殆どいないように、もっと身近な文化になっていると関わる人が増えて全体のレベルもあがります。

 

「憧れの力」ってすごいですから。

 

人って結構、憧れと情熱とイメージで色々できるようになっちゃうんじゃないかなって思ってます。

「空を飛ぶ」という夢が実現したように。

 

「歌」をやっている人は少なくないのに、声楽…となるとプレイヤー人口がどっと減ります。

ポピュラーもクラシックも、互いに学び合うといい感じにプラスになる技術もたくさんあると思うのですが。

もうちょっと「声楽」という分野が盛り上がるとイイなぁ…!と、個人的には思うのでした。

 

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