エッセイ,  技術的なこと,  音楽

日本人の歌は「下手」なのか?

日本人は歌が下手だとよくいわれます。

まず、音程が悪い。そして、リズムが不明瞭。…と。

その理由を言語や生活習慣の違いに求め、研鑽を積んできましたが…。

 

国際的に活躍する人も多くなってきているので「日本における西洋音楽プレイヤーのトップ層」は国際水準になってきていますが、なかなか音楽教育の末端とは事情が違うのかなと思います。

 

「音楽=ほぼ西洋音楽」になっている現代

日本人が日本の民謡などを歌ったらおそらく西洋音楽をやるよりも発声的には遥かにとっつきやすいのではないかと思われますが、「音楽の授業」についてもピアノという西洋楽器で授業をして五線譜を使用しています。

 

授業で扱うのは専ら「西洋音楽」だった20数年程前までですが、「それはおかしいのではないか?」という考えから民族音楽を取り入れたりするようになるなど、現在では少し事情が変わってきているようですが、それでも教育現場にあるものの基本は西洋音楽です。また、我々が普段耳にするポピュラー音楽と呼ばれるものもまた西洋音楽の音階や和音構成から成る音楽となっています。

 

ヨナ抜き音階などをモチーフとした作品や、ジャズともクラシックとも言えるような作品の流行など、ジャンル分けする境目が曖昧になりつつあるようにも感じますが、そもそも言語の違いを始めとしたそれぞれ異なる文化の中で育つ音楽は、その文化の違いがそのまま音楽の違いへと繋がっています。

 

西洋音楽はキリスト教の教会音楽を根っこにしています。教会で響き渡る歌声やハーモニー…が発展していったものです。日本人にはない文化です。

使用言語、風土、居住空間、コミュニケーション…あらゆるものに違いがある中で、日本の義務教育の中に西洋音楽を輸入してきて組み込みました。

根っこがないところに花だけ切って持ってきたようなかたちですね。そしてその西洋音楽の基準で評価した時に、文化が違う日本人の歌は下手だと評されやすいということです。

 

日本人の歌が「下手」な理由

どうも巷(ネット調べw)では、「欧米人は腹式呼吸で話して、日本人は胸式呼吸で話す。」…などと言われているようですが、そもそもどうして日本人が西洋音楽的な発声で歌うことを苦手としているのでしょうか?

大きな違いは普段使用している言語にあります。

 

電車などで、外人さんの声がやたらと大きく通って聞こえる…ということがよくありますが、腹式呼吸(※後述)は使用している言語の特性によって生じる「結果」のひとつに過ぎません。(※腹式呼吸という言葉自体、個人的にはあまり好ましい表現だとは思っていませんが、ここではのどではなくて身体で呼吸・声を支えることができる状態…というくらいのニュアンスで捉えていただければと思います

 

我々は言葉をアルファベットではなく50音表記で認識しているため、子音と母音が分離した感覚が欠如していて発声が「※のどにへばりついた音」になりやすいです(舌根に不必要な力みがあり子音も母音も不自由)。(※マリエッラ・デヴィーア女史が公開レッスンに来た時にもレッスン生に確かそのような表現をしてました。)

 

この「のどにへばりついた」声では腹式呼吸もへったくれもないのです。

子音と母音のタイミングの違いについては、合唱でも言われます。

「子音を先に触っておいて、離すだけにする」、「音符の前に子音を言う」などなど。

 

西暦2005年前後くらいの段階で、合唱団でもそれに関係するワークショップなどでもそういったことはよく耳にしました。

…ですが、現実問題として合唱部などでも殆どそれが出来ていませんでしたし、ほぼ「50音(子音と母音が同時発音)」で歌唱していました。

そもそも「出来ているか出来ていないかを判別出来る耳」を持っている人がまだ多くなく、「知ってる」からやってるつもりにはなってる人はたくさんいるという状況だったと記憶しています(辛口)。

 

子音と母音に時差が無いとどうなるのか?

歌うときは声帯等を器楽的に扱いますが、子音と母音に時差がない場合、

 

子音=空気の抵抗

母音=楽音(ピッチを成立させる楽器の音)

 

という本来は役割分担されている機能を別々に使えません。

 

したがって楽器の音になりません。例えるならタンギングをしながら音を出しているのと同じです。

それでも声自体が出てしまうのが人間ですが、当然構造上理にかなった動きではないので音程は悪くなります。そして、子音の機能を明確に使えないということはリズムも悪くなります。

日本人の歌は音程が悪くてリズム感が無いと言われる所以ですね。

 

また、50音で発音していると、いちいち声帯で空気を止めてしまい楽音にクラックが起こります。ヴァイオリンなどの擦弦楽器を想像していただけるとわかりやすいですが、弓と弦が途中で離れたり止まったりしたら、音も途切れますよね。それは歌でも同じです。これも楽音が美しく奏でられない大きな要因のひとつです。

 

「音楽」に対する美意識の違い

さて、今まで日本人が歌が下手だと言われる理由や、また改善の手助けになる原因などについても書いてまいりましたが、そもそも論として、西洋的な歌声の響きが日本人の好みにあうとは限らないという現実があります。

 

合唱コンクールの審査結果やお客さんのウケをみていてもそうですが、特に「ピッチ」や「ハーモニー」に対する感覚は習慣によるところも大きく、「だいたいあっている方がいいけれど迫力がいい方がいい」という客層が存在します。

 

こういった美意識の違いはネット環境の変化による影響がとても強く、世代間による違いも大きいですが、10年、20年前…と遡れば遡る程その傾向は強かったと認識しています。

 

クラシック歌手に関して、「本場で活躍している」として逆輸入した時などはラベルの力もあって一般的に評価されやすくはあるのですが、身近なところのコンサートなどでは

・西洋的な響きで歌っている歌手

・日本的な響きで歌っている歌手(全体的に若干ピッチが低くて、ビブラートとは異なる日本的揺れを伴った太めな声)

を並べた時に、日本人の好みの問題として後者の方が一般的に受け入れられやすいる部分があったりしました。

 

西洋楽器の演奏はピッチやハーモニーなどの統一感を成す「楽音」が一般的であるのに対し、和楽器の演奏は「噪音」に美意識を感じた演奏がたくさんあります。

(西洋音楽に触れる機会の少ない)日本人の感覚ではピッチやハーモニーに対する重要度がそこまで高くありません。

声とピアノのピッチが多少ズレていても、声の揺れ幅が大きくてハーモニーを形成してないように聴こえても、「朗々と、近くで聴くと立派にきこえる声」の方が好きな人はたくさんいる、そういう印象でした。

 

ここ数年で、ネット環境さえあれば海外の音源が聴き放題になった世代が20代になり、大きく「音質」が変わってきていると感じます。

客層によって作るものが違うのはどんなお店でもあることなので、結局は好みの問題…というところに落ち着いてしまうのですが…。

演奏する本人は確信犯でやれるといいですね!ということでまとめたいと思います。

 

(2021.8.1、少々加筆しました。)

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