声楽経験者がアマチュア合唱団にいると起こる「あるある」

「あなたのためを思って言っているの!」という言葉を使いながらも、本当は目的は「その人自身の成長や向上」などではないことがよくあります。

「私はあんたよりも上なのよ」と示すためであったり、「自分の優位的な立場を脅かしそうだから潰しておこう」であったり、「その人をその集団と同質化させること」だったり…。だいたい「あなたのため」ではなく、そう言っているその人自身の居心地のためです。

 

「あなたのため」という呪い

「あなたのため」と口にする人は、その人のことを思って言っているという体で、道徳を引き合いに出したり人の良心に漬け込んで自分の都合のいいように人をコントロールしてきます。
しかも、外面は「良い人」のまま他人の人生に干渉してくるので、不快感を感じてもそれを主張することが悪いことであると思わせるという手口。とてもたちが悪いですね。
要は人を自分の思い通りにしようとする行為であり、支配的な行動です。

 

声楽をかじっていて合唱団と関わるとよくある場面ですが、「発声が違う」「あなたのため」などと言いながら求めていないアドバイス(クソバイス)のオンパレードによって「あなたは私より下なのよ」を誇示してくる団員の存在。

思うのですが、合唱や声楽をめぐる技術の混乱は↑こういう行為が咎められることもなく横行している状況のせいもあるのではないかということです。

 

存在しない共通認識

ピアノでは技術的な混乱がそこまでひどく起こらないのは、ピアノというものは少なくとも「弾ける人間に師事する&できるようになる」…という流れが一般的だからでしょうか。
最初から的確に指を動かして演奏するということは通常素人にはできません。

 

でも、「歌」に関してはそうでもありません。

特に合唱については歌唱技術構築の手順を知る専門家がいない状況下で練習をすることも多いです。また、最初からある程度歌えてしまう(声が出るとか耳がいいとか)人の存在もあります。
最初からある程度歌えてしまう人が技術とは何かを知らないまま指導しているケースすら存在します。

 

ピアノは長年習うことによって習得することが多いという性質から、マウンティングの質が歌のそれとは異なります。よく小中学生がするわかりやすいマウンティングは「教則本どこまで進んだ」や「何を弾いたか?」などです。
技術の無い人間からの意味のわからないマウンティングはそもそも成立しにくいです。「共通認識」として技術的な進度についての理解は存在しているからですね。

 

でも、歌はそうではありません。そもそも技術についての共通認識が存在しません。よって的はずれなマウンティングが横行しやすいです。歌においては所謂「下手ウマ」がむしろ味だったりするのもまた複雑さを増しているのでしょう。

 

「その発声は間違ってる!それはオペラの歌い方でしょ!!」

という、声楽とアマチュア合唱の両方をやっていると言われる「あるある」。対抗心むき出しで貶めることに必死な人にうんざりして団体を去ることも「あるある」です。

 

楽器に例えると

そもそもやっていることが根本的に違うことがよくあります。
声帯が振動して音が出るという認識すら無いケース。裏声しか使ってはいけないと思っているケース。子音と母音が同時発音で筋肉の硬直を起こす&声帯の適切な鳴りを得られずにどうしようもないケース…などなど。

 

そこに、声楽的によく鳴る人が混ざった時の周囲の反応は分かれます。

「歌える人」としてソロに登用するなど歓迎する人達と、「この声は合唱のあるべき姿ではない!」と否定的感情を持つ人達。

 

これを吹奏楽で例えると、楽器の音がそもそもちゃんと鳴らせてない人達の中にソロでも吹けるような人が混ざった…というような状況なのですが、そのように全体に認識してもらえるのは「幸運」です。

 

これが使用する楽器が異なると起こる大きな差であり、やりにくさだと思います。

そもそも一般的には歌うということについて、楽器を演奏しているという意識がありません。
吹奏楽等とやっていることは同じなのですが、日常的に使用している「声」を扱っているためか一人一人が楽器を持ち寄って演奏しているイメージを持っているアマチュア団体は多くはありません。そして、その楽器に長い地道な訓練が必要であるという認識についても同様です。

 

「誰でもできる手軽な趣味」…「合わせて唱え」ていれば成立するというような誤解。音取りして暗譜さえすれば大丈夫?…と。それは、他の楽器でも可能でしょうか?リード楽器でもなんでも、まずは音を出す練習からです。ロングトーンでも音階でも、「プピィー!」なんて調子っぱずれな音を出していては合奏なんて出来ません。

 

コミュニティの分裂

「吹けてる吹けてない」の共通認識がそもそも存在しない場所において、吹けない人に混ざった吹ける人というのは「ただの異質な存在」以外の何物でもありません。ボリュームゾーンでないだけで疎外対象となるリスクは高まります。ましてや「みんな同質であるべき」という価値基準を持つ人間にとって、異質でありながら(その人からみたら)いい待遇を受けていると思われたら反感を買うのはもはや当たり前です。

 

そうして、だいたい団体の中に派閥のようなものが出来上がり、分裂し、「棲み分け」がなされます。
従って、声楽と合唱は違う!となったまま技術についての共通認識は得られないままです。

 

「声楽の声は間違っている派」の方は、高音をピアニッシモで歌う技術が高等テクニックであることも知らぬまま、「違う方法」で声を出し続け、また他者にもそのように要求するため声楽を学習中の人間は居着くことができません。

 

まとめ

合唱は指揮者を中心にまとめるので「優先とすること」は違います。でも、人間の身体の構造は変わりません。
生理的に理に適った方法は存在しますし、最初にやるべきこともあります。

空気を大量に送り出したからといって声は鳴りませんし、「頑張った」からといっていい演奏にはなりません。
スポーツで例えるのなら必要な筋肉や基礎力が無いのにいきなりその競技で試合をすることなんてできないのと同じです。

 

そういう基本的なところでさえ認識されていない場面にまだ出会います。
共通認識があるだけで、声楽をやっている人間が「発声が間違っている」とされていびられたりすることもぐっと減るのではないかと思います。
技術が何か?という意識があれば学び合いもできるのではないでしょうか。

 

声楽をやっている人も、他の人と一緒に歌いたいと思っている人はたくさんいます。
でも、本人は友好的にやりたくてもやりにくい状況になりやすいです。

こういった状況がもっと改善されればいいのになと思います。

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