よく話題になる「クラシック音楽は敷居が高い」という件について、また話題になっていたので個人的な雑感。
※「敷居が高い」という言葉の意味をめぐる正しい使われ方云々という話は置いておいて、ここではそこで実際に使われているニュアンスからものを書きますね。
「敷居が高いからお客さんが来ない」
という認識の方は、普段から「敷居が高いかどうか」によって自らの行動を制限するのでしょうか?
興味があって都合が合えば、自分をその場に合わせませんか?
「こんなお店で食事をしてみたい」と思った時、特別な日にそのお店をチョイスしようと思いませんか?普段着では入れない、昼休憩のランチでは入れない…ならば、なんらかの記念日に予約してそれなりの格好をして行きませんか?
結局のところ、「そこまでしていきたいかどうか?」ではありませんか?
理由は後づけ?
では、「敷居が高くて」を口にする時はどうでしょう。
人間はやりたいことが先にあって、理由を後付けしたりするのはよくあることです。
やりたいと言いながらやらない…は、だいたい自分の中ではコストと得られるメリットを比較してもう答えが出ている時ですね。
「やせたい。」
…でも食事制限も運動もきつい。
これを我慢してまでやせたいのか?
…いや。
のように。
「敷居が高いから行かない」、の「敷居が高いから」という理由は後からつけたものではないでしょうか?
自分を「そんな高貴な場には相応しくない」といったニュアンスで一段下げて相手を持ち上げる姿勢を見せながら、「なるべく気分を害さないように」お断りできるお断り文句とすればとても納得できます。
単なるお断り文句であると考えた時、
「敷居が高いからお客さんが来ない」
…と、やってる側が言うのってどうですか?
お客さん側の視点を忘れていませんか。
そこで得られるメリット、そこで得られる価値がわからないものに人はコストを払いません。(価値が無いものを洗脳したり煽ったりして売るやり方もあります)
・よくわからないもので売りこみをかけられた時、人はどうするでしょうか?
・全く知らないブランドらしき名前を並べられて説明された時、どう思うでしょうか?
・それを買うとお客さんは何を得ることができるのかに一切触れないセールスはどうでしょうか?
…押し付けがましくとても不親切な接客だと思いませんか?
また、それで満足を得られない人のことを「素人にはわからない」とか「わかるためには教養が必要」とまで言ってのける人がそこにいると知っていたら積極的に関わりたいと思いますか?多くの人は思いませんよね。
そもそも人に対する姿勢としてどうですか?
人を見下した傲慢な姿勢だと個人的には感じますが、こういう意見ってわりとナチュラルに存在してますよね(もちろん全員ではありませんが)。
そういう背景があるから「敷居が高い」が理由としてよく使われるようになっているのではないでしょうか。
・興味無いけど「敷居が高いから」と断れば相手を満足させながら逃げられると認識されてる。
・我々は「敷居が高いところにいるから(上にいるから)」、下々には理解できないと思っていられる。
お互いにそう思っていてトラブルにならないのならそれはそれでいいとは思いますが。
自分の都合ばかり見ていると相手が見えない
私はこんなに努力してきたのだから(だから価値があるはずだ)、みたいなのが透けて見えることが度々ありますが、そういうものを他人から押付けられた時、どうでしょうか?
「私こんなに頑張って作ったんで価値が高いと思います。買ってください。」という姿勢ですね。
お客さん一人ひとりにその人の歩んできた人生の背景があって、どういう生活レベル・価値観・優先順位で生きているのかって全く違うわけですよね。
相手のニーズとか考えてますか?
「敷居が高いから」を自分で理由にしてしまうのって…「そういうところ」だと思うんですが。
自分は価値がある。相手が理解すべき。そういう姿勢ですよね。
もちろんマーケティングにおいて、ターゲット層は選んでもいいと思いますし、自分を高く魅せるというのもむしろ全然ありです。
ただ、相手の立場など全く考えもせず、思い通りにならなかった相手を「価値がわからないなんて無教養だ」などと貶めるような思想を恥ずかしげもなく表に出すのは「あれは酸っぱい葡萄だ」と言っているようで正直みっともないのではないかと個人的には感じます。
自分とは違う日常を背負っている一人の人間(お客さん)が、その空間・その時間を共有した時に何を得られるのか?
それを忘れてしまったら、ただの押し売りになってしまうかもしれません。
…と、思ったこと偉そうにつらつら書いてますが…。
まぁ、要するに、何が言いたいのかと言うと…
「私はありがたいことやってるんだから理解しろ!(理解できないお前が悪い)」みたいな奴は個人的には大嫌いだ。
というだけのことではあるのですが。
殆どの人は自分のコストをかけるほど興味が無いだけです。
現代は特に不景気ですから、コスパ重視ですしね。
何のジャンルでもプロになる人達は膨大な訓練をしてきてますし技術もありますが、それでもクラシックだけが「敷居が高い」と言われてしまう理由はなんでしょうか。
他のジャンルを見下す人がちょいちょいいますけど、商品に価値があることなんて当たり前です。
価値ってなんでしょうか。商売においては相手のメリットですよね。
推しに課金しまくる人がいるのですから、そこは考えた方がいいと思います。
クラシック音楽は日本では教養だとかなんだとか言われて、ある程度の家庭の情操教育としても取り入れられましたが、何かそこからずっと残っている選民意識みたいなのが閉塞感の原因になっているのではないかと個人的には感じます。
他人を見下している人は他人に対するリスペクトや思いやりが不足します。
人が集まらない理由を「敷居が高いから」として、相手が下にいる設定にしてしまえる意識がそもそもの原因なのではないでしょうか。
「敷居が高いから」ではなくて、相手にはコストに見合うメリットが伝わってないかもしくは提供できてないと考えられないのは、少なくとも「商売人としては」不正解なのではないかと思います。
もちろん、売れるだけが音楽ではありませんが。
自分がいいと思うものを徹底的に追求するのは結構ですが、自分の思う結果が得られないときに「自分上げ・相手下げ」みたいな捉え方が入るのってどうなのでしょうか。食べるのに困る中で必死に日銭を稼ぐ家庭で育ってきた人間と、習い事に通いながら「私達努力してる」って言ってる人間が同じ価値観なわけがありませんし、そんな産まれもただのガチャでしかありません。人間はうまくいったことほど自分のおかげだと考えるバイアスを持っています。恵まれている人ほど自分が努力したからだと捉えます。そして、結果が伴わない他人を努力不足だと言うのです。
「自分は正しい、相手が間違っている。」という対人関係における姿勢は、ハラスメント問題を起こす人間に多い傾向でもあります。
このような人間関係にとって害になりかねない思考の癖に気がづいて改善していけるといいなと思いました。
…話が大きくなりましたが、「敷居が高いから問題」についての個人的雑感でした。