与える人、貢ぐ人、奪われる人。
— よこたんのメモ帳 (@utautai_soprano) July 9, 2017
自分のエネルギーを人に渡しているのは同じでも中身は全然違う。
昔の私は「与える人にならなきゃ」って思いながら、与えもしたけれど、貢ぎもしたし、罪悪感を触発されて奪われもした。
与える人はハッピーだけど、あとはそうじゃない。
与えるだけにしよう!
私もそうだったんだけど「与えなきゃ」って思ってる人って、その人から発しているエネルギーが全然「与える人」と同じにはなっていなかったりする。
乗ってるエネルギーって大切だなと思うようになった。
— よこたんのメモ帳 (@utautai_soprano) July 9, 2017
本当に感じてる&思ってることは違うのに、さも違うように振る舞っても、やっぱそういうのは違和感を発するし、むしろその人の昇華されないマイナスのエネルギーがぐるぐるしているのを感じ取ってしまう。
大切なことは目には見えない。
自分が満たされていないのにも関わらず義務感で与えていても、与えているように見えて実はそうじゃなくなっていて、与えることで何かを得たい…心の奥底にはむしろ「私に何かをください」という思いが隠れていたりする。
そしてそういう欠乏感や飢餓感は、敏感な相手には確実に伝わっている。
与える人になっている時は結果とか気にならない。
— よこたんのメモ帳 (@utautai_soprano) July 9, 2017
見返りも求めない。余ってるからあげてるというか、たくさんあるからいいよーって感じ。
そう思えないときはまだ「与える」段階にいない。まずは自分で自分を満たすのが先。
大丈夫。満たせるよ。
「教育はGIVEだ」って師匠が言っていたから、若い頃は特に「与える人にならなければ!」って思っていた。
でも、能動的な姿勢で与えられる場面とそうでない場面というのは確実に存在していて、昔、「勉強のために」合唱部にお邪魔して継続的にボランティア指導もしたけれど、それをよそで聞いた人に「うちにもタダで教えにきてよ~」って言われるのは違うなと思った。
(自分で生徒を集める必要もないし、練習場所もあるし、就職して長時間拘束されることもないまま実績もネームバリューも何もない若かった人間がこういう機会を貰えたのは勉強になりました。)
与える人は、自分の「やりたい」と「与える」が合致している。
そうではないのに、「自分が本当は餓死しそうなのに人に食料を恵む」みたいなのは違うのだと思う。
我慢が美徳とされている。
例として、嗜好品ひとつを巡って「子どもの笑顔」と「自分の食欲」とを天秤にかけて前者を選ぶ時は大して我慢していない。我慢というよりは「子どもの喜ぶ顔を見るほうがいいな」という「選択」でしかない。
「私も食べたかったのに~」とか思わない。
でも、もしここに「~のに!」っていう思いがあって、それに蓋をしたままでいたとしたら、それは我慢なんだと思う。
この我慢って、あんまり続けて無視していると発酵してくる。
発酵臭に鼻が麻痺して、我慢してる自覚もなくなったり。
与える人は成功すると言うけれど、こういう我慢を続けて貢ぐ人は幸せにはなれない。
我慢が当り前になって奪われる人も幸せにはなれない。
自分の幸せに気がついて、自分が満たされていることに気がついて、それからやっと与える人…というよりも「与えられる人」になれるのだと思う。
心の奥底にある「私に何かをください」という欠乏感になっている「何か」が、実は既にあることに気がつくことが先。
自分の人生の舵取りを自分でしていけるのだと気がつけることが先。
「私には○○が無い」「○○が欲しい」と、「無い」に目を向けていると、ずーっとそのスパイラルから抜けられない。
「できない原因」を探しているといくらでも見つかる。
でも、原因を知ることは結果を変えるために扱う。
では自分はどうしたいのか?
どういう状態で生きていきたいのか?
そのためにどうしたらいいのか?
そうして自分が満たされてはじめて、自然と「与えたい」と思えるようになる。
「お腹いっぱいだから、いいよ~。」って言える。おすそ分け出来る。
「与える人」になれるかどうかって、自分の内側に気がつけたかどうかなんだと思う。
中学校に実習に行った時、合唱コンクールの1ヶ月くらい前だったんだけども、なんだかクラスの子達が「自分たちは優秀賞なんてとれない」って何故か思い込んでました。
私から見たクラス合唱のレベルなんて大して差も無く、どのクラスも適切な訓練をガチで1ヶ月もやれば優秀賞とれるだろうと。
「なんでちゃんとやれば最優秀賞だろうがなんだろうがとれるのにやらないの?」と素朴な疑問をぶつけました。
するとみんな「・・・・・・・へ???」っていう表情をして「本当に…??」と。
私:「…(何言ってるの?風に)とれるよ?」
…なんだかその日から俄然、生徒達の表情が変わったんですよね。
「自分たちは出来る!…出来るかもしれない!!」って、思い込みが書き換わって。
…そして一ヶ月後、見事、最優秀賞。
贔屓目にみて、他のクラスとはハーモニーの美しさが一段抜けてました。
外側の問題って大したことないんですよね。
外側だけ真似しても頓珍漢なことになっていたり。
与える人…というか、励ます人になろうと思ったこの頃でした。
自分が何かを与えなくても、実はみんな既に持っているんだなーって思うから、持っているものに気がつけるように、励ます人になろうと思います
おしまい。