最初は「もう自信ない」とか言っていたくせに、むしろ躍動感が増していい感じになっていました(笑)。
ビートの刻みに「遊び」があるというか、ノれる感じ。
ふと昔、こんなこと言ってる人がいたなぁを思い出して…
ピアノに専念させたい母親の「包丁も持たせてません」に、「それじゃピアニストにはなれない」と言った先生。
— よこたんのメモ帳 (@utautai_soprano) July 12, 2017
「ずーっと芝居しかしてこなかった人の演技は人の生活が無いからどこか嘘くさい」といっていた演出家。
一度創作活動から離れて復帰してからの方が作品がよくなった人。
人生が芸術。
数年前、幼稚園の演劇サークルの手伝いでピアニストをやっていたんですけど、お母さん達のお芝居、精神的な余裕があるからなのか上手いんですよね。
全国大会に行った演劇部とかの芝居も見てますけど、高校生のフレッシュ感とはまた違った感じの良さがあるんです。
自分や人を受け入れる度量?というのか、人や自分とのコミュニケーションの根本の部分での違いからなのかなんなのか、「緊張感」の質的な部分が結構違くて、「間」に出てくる余裕が違うんですよね。
大人になるとたるんできたり緩んできたりしますけども(笑)、そういうのが色気になったり、スキになったり、余裕のある感じにみえたり、味になったり?するのかなぁと思います。
「何かを表現する」で表現するものって、人間だったり自然のものだったり…ということが多いと思うんですが、人間を描こうとした時って、生きている人間…生活している人間、その人間の心の動きに気がついていくことなのかなと思います。
自分の心の動きを見つめること、人の心の動きに興味を持つこと、人の背景に興味を持つことが全て肥やしになっていくのかなぁと。
運動技術的なトレーニングはきちんとやらないと(伝統芸能的な意味での)カタチにはなりませんが、その中身は結局「人の生(&性)」で。
宇多田ヒカルさんが昔、「人間活動」を宣言して一時活動を休止していましたが、そういう「ただ生きている」っていうことが表現以前のこととして人の土台として大切なことなんだと思います。
「○○一筋」とか、「寝る間を惜しんで」とか、日本人はとかくワーカーホリック的なものを美化する傾向があってブラックな企業もたくさんありますが、病む人がたくさんいるのは人間活動不足なのかなと。
…私も学生時代はだいぶそういう傾向のある人でしたが、今思い返すと精神的な余裕が皆無でピリピリピリピリしていて性格キツかったなーと思います(笑)
過緊張起こして、ろくでもないへったくそな歌を歌ったりw
緊張すると音楽が走りますし、呼吸も浅くなりますし、声もかたくなります。
家で適当に歌ってる時の歌も、本番の歌も全部聴いている旦那は、「家で歌ってる感じで歌えばいいのに」って言いますけどw
どんな状況でも動じない精神的に余裕のある人になりたいものです。