人って誰でも初心者の時代があって、それから階段をあがっていきます。
いわゆる「二世」みたいな、一般的な「初心者の時代」を過ごしていないような人も中にはいますけど…そういう例はとりあえずおいておいて。
「一般的なアマチュアよりは出来るけど、プロとして使えるレベルではない」という時代。
だいたいこの頃に、アマチュア団体だったら「あなたこれやってみなさいよ」と言われて、そうやって声がかからないけどやりたいと思っていた人から「贔屓されてる」とか「ずるい」とか「たいしたことないくせに」とかなんとか色々言われるのかなと思います。
…もちろん、まわりにどんな人がいるのか?にもよりますけど。
上記のような相談が掲示板にあると、「まだたいしたことないから言われるのだ。出すぎた杭になりなさい。」ってコメントが必ずといっていいほど入ってます。
でもね。
思うに、技術を身に着けさえすれば言われなくなるわけじゃないなーと思うのです。
それよりも、その人本人の「威厳」みたいなものの方がよっぽど大切なんだなぁと。
それは、「傲慢さ」では無くて。
自分の優位性を認識するとかではなくて、自分の心に従って取り組んでいる姿勢についての自信みたいな。
何か言いたい人って、言いたくてたまらないんですよね。
本当は、その人の中に「言いたくてたまらなくなってしまう」心の原因があるのに、その理由をいくらでも相手の中に探し出して、あたかもそれが原因のようにして言うんです。
目立った理由が見つからない時は、トンデモ理論を持ち出したり、嘘ならべたりまでして言いがかりをつけたり、周りの人間にネガティブキャンペーンをしたりするんです。
出すぎた杭になったら打たれない。
…ということもなくて、いつまでたっても打つ人はいます。色々と実績を出した有名人にだって絶対アンチっていますしね。
でも、「相手の問題なんだなー」と思えるようになったら一歩前に進めるのかなと思います。
思いもよらず「出る杭」になって、様々な嫉妬にさらされて苦労したんだろうなぁ…と感じる人に出会ったことがあります。
異様に腰が低くて、低すぎるくらい低くて、明らかに力があるにも関わらず「出来ない」と口にして目立つことをやりたがりませんでした。
「やりたい」という自分の心に我慢をさせて、才能を隠すような感じで。
過去の経験から才能が顕になると大変なことになると思っているのでしょう。勿体無いなぁ…と思ってました。
こないだ、埋もれた才能について「無人島の人間国宝」と書いている人がいて、その表現に笑ってしまいましたが、そういう人っていっぱいいるんだろうなぁと思います。
「実力」って、テクニカルな部分だけでなくて、メンタル的な部分の力ってものすごく大切です。
人前に出て、批判に晒されても大丈夫なメンタルではないとそもそも「表現活動」って継続出来なくて。
「出る杭は打たれるが 出すぎた杭は打たれない」
というよりも、「出る杭」だろうが「出すぎた杭」だろうが打つ人は一定数いつもいるけれど、「出る杭」でい続けられる人が、結果的に「出すぎた杭」になるのかなぁと思います。
でも「出すぎた杭」と評されるような本人は、そんな他者との比較でもって満足出来るタイプの人間ではそもそもないんだろうなぁ…とも。
とりとめもなく。雑感。