何のために歌うのか?

初心者の頃って、すごく幸せ。

ただただ阿呆みたいに、上手くなりたい!!もっと自由に歌いたい!!っていうだけ。

自分よりも歌える人ばかりだし、どこへ行ってもスポンジみたいに吸収することがたくさんある。

 

でも、ある程度上達してくると、それで何をするのか?っていうところに意識がいくようになってくる。

今だって、自分が思うような歌はまだ歌えていないし、磨く余地なんて山ほどあるのだけれど。


 

家にこもって音と遊んでいるのは幸せだ。

…けれども、自分が「役に立っていない感覚」に襲われることがある。

私に無償で教えを授けてくださった方々は、少なくとも私が少しは人の役に立つであろうと見込んでのことだろうとも思え。

でも一方で、頼まれごとでいっぱいいっぱいになるのも好きじゃなかったりする矛盾(笑)。

 

「人」の弱さ。

一人では立っていられなくて、寄りかかりながら生きる人間の性だろうか。

 

色々あってからはコミュ障気味で過ごしていたけれど、「どうせ」と思いながらも期待をして、期待をしながら望まないように自制して、本当に不器用に生きてきた。

でもやはりどこか、肯定的なフィードバックを望んでいるのだと思う。

動画を投稿するのも、家でこもりながらでもフィードバックを得られるから。

舞台にあがるのも、フィードバックを得られるから。

そこに、コミュニケーションが存在するから。

 

 

本番の前は本当に緊張する。だいたい胃腸の具合がよくない。

なんでこんな思いしながらやってるんだろうな?wと思ったりもする(笑)

メンタルが向いていないなーと思ったことは一度や二度ではない。というか、基本的にメンタルは表舞台向きではないと思っているw

家で歌っているように歌えばいいのにと旦那に言われながら、そういうオープンなキャラになりきれない(ブログでは色々書いてるけどね。ちょっと色々ある子がネットに逃げるじゃないですか。その延長線で10年以上文章を書き続けてきて今があるのです・笑)。

 

 

ポピュラー音楽は肯定的なフィードバックが得られやすくて、クラシック音楽だと肯定的なフィードバックとネガティブなフィードバックが、匿名を含めると微妙なラインになってくる。

…そして弱い私は、


…と感じている。

正直。

 

だいぶ罪悪感を手放したつもりでも、好きなことを好きにやっているだけでは人の批判に弱い。

罪悪感がざわついて、消えたくなるのだ。

どこか「役に立っている」という免罪符を欲してしまうという弱さ。

 

罵倒されながら、反発して歩んできた自分。

くそっ!!!って思いながらやってきた自分。

 

傍から見ると自分があるようでいて、実は脆く、自分が無いというパラドックスを抱えている。

人に「それでいいんだよ」と言ってもらいたいという飢餓感を認めながら、それを手放したいと思いながら、なかなか手にくっついて離れないのだ。

 

私は声楽家を名乗るけれど、ソプラノ歌手とは名乗っていない。

「お呼びでない」扱いを受けたことがずっとひっかかっているから。

日本では当り前の、文化的資本の豊かなお嬢様育ちでもなく、教養もない。

コンサートや観劇に家族で行くような家ではない。

「うちはそういう家じゃないんだ!!」と激昂する父に泣きながら土下座をして音楽をしてきたのだ。

 

なんだかここのところ、今後について迷っている。

どこに力点を置くのかを変えようかなと。

人生全般において。

 

昨日、プチ家出をしていて、なんだか漠然と今後について思いを馳せていた。

まだ何もわからないけれど。

予定はたてても全然そのとおりにはならないから、予定は未定。

 

ただ、より幸せにいきたい。

キチガイにはキチガイに適した人生があるのかもしれないし、それはそれでいいのだとも思うようになったけれど。

 

今日は暗い!!ww

まぁ、そんな日もあるさ。にんげんだもの。

お目汚し失礼しました。

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