謙遜大好きな日本人は特に「私なんてまだまだです~」って言うんだけれど、その人その人が「普通に」やっていることを真似しようとするとしんどい…ということが結構ある。
私は運動に関する基礎能力が高い方ではなくて、だいたい運動会でかけっこがあると一番遅いグループか、二番目に遅いグループにいるくらいでした(笑)
逆上がりがなかなか出来なくて放課後残って特訓する羽目になり、なんとかテストまでに出来るようになるような、そういう感じ。
あまりに劣等感があったので&いじめられたりもしたので、「変わりたい」という一心で中学校では剣道部に入りました。
家でも筋トレとかしてましたし、相当努力をして中学校の部活レベルで「標準値」くらいでした(せいぜい個人戦のトーナメントで2回戦まで…というね)。
そして努力の賜物として、学年でビリから2番めをキープし続けていた持久走はかなり早くなり、上位グループで一緒に走ることが出来るようになりました。
…でもね。
しんどい!!w
体育の授業で一緒に走るグループとして組むことになったのですが、「ギリギリ」上位グループに入っているので、超しんどい…www
既に努力した結果としてそこに入っているので、残念ながら伸びしろがもうほぼ無いという…(´・ω・`)
技術的な部分を磨いたらどうこうという種目じゃないので…。。
…ということも経験していたのですが、当時は特に、あまりそういったことに考えが及ぶ賢さも無く、「身体を動かすことは実は楽しい」ということを部活で学んでしまったがために、高校でも剣道部にはいってしまいました。
…が、高校でも続けようなんていう人はそれなりに出来た人の割合が高く、努力でどうにか出来ないポテンシャルの差が歴然としており、競技性もありますし、やはりまた「出来ないやつ」ということで扱いはひどいわ、度重なる「小手」で手を痛めてピアノに支障は出るわ、そもそも高校の部活ともなると拘束時間が中学の比ではないので、ピアノの練習時間なんてほぼとれず…それでもおよそ1年は続けてましたが退部しました。
そうしてようやく、「個人でピアノ習ってます」だけじゃなくて、音楽をやっている人達の集団に所属するようになっていったんですけど。
・普通に楽譜が読める。
・聴いた音はドレミに出来る。(私の場合、打楽器などの噪音は除く)
・ピアノが弾ける。
・音がとれる。
・特に苦労なく声はもともと結構出る。
…というだけで、こんなにゆとりがあるのですね。…という。
剣道部の時みたいにものすっごい努力をしてようやっと真ん中になれるかな…ではない、時間的・体力的・精神的余裕。
劣等感ばかりかかえて適性を無視していたなーと。
自分の「普通」って、「普通」じゃなくて。
人の「普通」を自分が出来ていないと自分がダメ人間な気がしたりしてましたけど、そうじゃなくて。
「○○が得意」も、色々なジャンルで。
何も職業に限らず日常の色々な場面で。
旦那は料理が得意なので、休日とかに時間があるとちゃちゃっとお店に出てきそうなものを作るんですけど(食べたものをほぼ再現出来る人)、彼にとっては別にそれが「普通」で。
それを「すごいな~♪美味しいな~♪」と言いながら食べる家族がいて。
一方で、聴いたものをほぼ再現することに「すごいな~♪いいな~♪」と喜んで聴く人がいて。
そういうもんなんだなと。
自分の「普通」を大切にしよう!!ヽ(=´▽`=)ノ
…というお話でした。