その人の幸せを願ってとる行動が、本当にその人のためになるのかどうかというのは、正直わからないもの。
幸せってなによ?と問われれば、それを「○○を持ってる」とかいう外的なもので定義づけすることは出来ない。
人それぞれだから。
幸せはとても内的なものなので。
「幸せになってもらいたくて」、あれこれと干渉してくる親…というのはきっと「あるある」なのだろうが、そういう関わりは「自分の人生を生きること」がいけないことであるかのような感覚と、ある種の「信頼されてない」感じを子どもに与えてしまうこともまた「あるある」で、そういう感覚は特に若年期における生き方に多大な影響を及ぼす…と思う。
家業を継ぐ…というのは、昔ほど一般的なことでは無くなったにせよ、まだまだ残っているし、実際、親の遺伝子・知的財産・人脈の恩恵を受けて同業になりやすいというメリットがある。
音楽家にも二世は多い。
自分は、「歌う裁判官でいいじゃん」と言われたりしつつ、「教えられるから」という理由で法曹界にいくことを期待されてる感じがあった。(父親は一時期、実務教官としてロースクールで教えてた)
「音楽系を受験していいのは現役のみ」&「もし落ちたら『言うことを聞く』」というような条件だったので、現役でひっかかってなかったら、私はもしかしたら歌う裁判官になっていたのかもしれない(笑)…いや、ないか。司法試験は厳しいww
でもどこか、「親の言うことを聞いていない罪悪感」は長らくあって、声が出なくなった時、今さら司法試験の勉強でもしようかと思ったりもした(笑)
昨日、娘のレッスンにお邪魔したのだけれど、確実に私が7歳の頃よりもいい音で弾くなと思う。(親バカかな?)
もっと練習すればいいのにー。
環境こんだけ整ってるのにー。
っていう、親心(笑)
…これではおんなじではないかっ!!! ( ̄□ ̄;)!!
…と思いつつ、つい言っちゃう「もっと練習すればいいのにぃ~。勿体無いっ!」…と(結局、言うんかい)。
別にだからといって強制はしないし、好きにすればいいとは思っているけれど。
本人が苦しくない範囲で基本的なことが身についている状態でいれば、音楽の場合は特に、ゆくゆくそれが人生を豊かにする時間を過ごす財産になると思っているので、プロになってもらいたいとかは特に望んでいるわけではない。
…ただ、私が引っ越しを繰り返して先生がころころ変わって「音楽系に進学することを想定したレッスン」を積み重ねて受けていなかったために後から非常に苦労をした…という背景もあったので、本人が望んだ時にスムーズにいける状態であればいいなとは思っている。
長女は性格・特性・趣味嗜好が私に似てるので、今はそこまでのめり込んでいなくても後から言い出す可能性があるな…と、勝手に心の準備(お金の準備はそんなにないから、行けて私と同様に教育学部だけど)。
結局は「本人」。
親や教育者が出来ることは「強制すること」ではなくて、本人が自分の種を見つけやすいようにすることと、種を育てやすいように環境を整えておくことくらい。…かな?