「無い」か「ある」か?と問われれば、「ある」と思う側の人間なのに、胡散臭さを感じるのは何故だろう。
そこには確実に、人の選民意識をくすぐって搾取する人間がたくさんいるからなんだと思う。
…というのは、どこの業界でもあるんでしょうけども。
人はみんな、自分が感知・理解出来ないものはわからない。
でも、その「よくわからない」から、「わかるようなわからないような」→「わかるような気がする」→「私は特別」に誘導するタイプのはなんか、そもそも人を人から切り離すように導いているので、どうなの?と思う。
「私は特別。あなたは特別じゃない。」
という意識は、
I’m OK. You’re not OK.
とほぼ同義ではないかと思う(心理学の話)。
人がより幸せに生きる態度は、
I’m OK. You’re Ok.
と言われている。
…けれども、自分が「選ばれし者」であり他の奴らとは違う!!…といった、見下した態度を身に着けると、本人が生きづらいだけではなく本人の周りも生きづらい。
「選ばれし者だったのに!(You were the chosen one! )」…そんなオビ=ワンの悲痛な叫びが思い出されます。
…ダークサイドにおちてしまうんじゃないかなと。(スター・ウォーズネタ)
私は、人が完全なライトサイドにいることは難しいと思っていて、嫉妬や恐れでダークサイドにおちて、でも後に息子に救われたアナキン(ダース・ベイダー)のように、行ったり来たりするんじゃないかなと思っています。
「フォースにバランスをもたらす者」…として、その強大なフォースの力をライトサイドから期待をされていたけれど、その実態は、ライトサイドに力が偏っていた世界でダークサイドに力を与えて「バランスをもたらした」ように、どっちかしか存在しないというのは無いのだろうと。
…で、思うに、生まれ落ちた時はそもそも自分と他者や世界に対して「分離」という感覚を持たなくて、成長に従って「分離」の感覚を持つようになり、その中でさまざまな痛みを知り、そしていずれはその痛みを癒やして「統合」の感覚を身に着けていくのが人生の旅のような気がしているのですが(若造の戯言か?)…。
向かうところが「分離」であれば「自分は周りの人には理解されない」という感覚が拭えないし(あるいは、「特別な誰かにしか理解できない」と思ったり)、生き辛さを改善するのは難しいのではないかなと思うのです。
…ベイダーって幸せじゃないですよね。
人のこと信用しなくて、すぐに首絞めますし。
周りの人は「彼の力」に従っているだけで。
スピリチュアルでは生きづらさを抱えている人に対して「あなたは特別だから」と「そんなあなたを理解できるのは私」という関係性の構築により、マインドコントロールのような依存的で危険な関係に誘導する手口もあり。
人の劣等感や優越感をうまく刺激して、搾取する…というのはあるあるパターンではありすが、「私は俗世間には理解されない存在」と被害者でい続け、自分と反りが合わない人間をディスっている人は全然幸せそうじゃなくて、そういうケースを目の当たりにしてしまうから胡散臭いと感じるのかな…と。
スピリチュアルも宗教も、もともとは人に幸せに生きたいという想いがあるから存在するのだと思いますが、扱い方次第で良くも悪くもなってしまうもの。
カウンセリングなどでは、自分を卑下してしまってどうしようもない人に「怒り」の感情を思い出させたりする経過も必要だったりしますが、なるべくなるべく、その人やその人以外を無力化したりディスったりするのではなく、互いが肯定し合える関係を築けると幸せだなと思います。
…もちろん、私にも嫌いな人はいますけどね!!(笑)
I’m OK. You’re Ok.
の姿勢でなるべく生きたいものです。
自分の精神衛生が良好であるために。