いつもは点灯していない東京タワーの前を通るのだけれども、予定が変わって見ることが出来た姿。

完全な夜ではない、空の色のグラデーション。
予定通りにいかないことで出会える瞬間もあるよなぁ、なんて思ったのでありました。
昨日、旦那が顧問の演劇部で大会があったのだけど、珍しく今回は上にいけなかった。
相変わらず、会場は熱狂。
…というか、高校生をはじめとした若い子達は熱狂(高校生の投票では圧倒的1位)。
なんだけれども、今回は「大人(審査員)」には殆ど評価されない…という自体が起こったようだ。
大人の感性と子どもの感性って違ったりする。
帰ってから評価が割れた理由を分析して、もっと脚本をこうすればよかったかな~とか色々と言っていたけれど。
…自分に出来ないことが出来る男は格好良く見えるものです(笑)←ノロケ
ジェネレーションギャップ。
あるような、ないような。
…気がしているけれど、でも、あるんだろうな。
音楽とかお芝居もそうだけれど、「自分以外の人間の視点」を知る必要にかられる人間は、そういうギャップが平均値よりは少なめなのかなーとは思いつつ(…まぁ、もちろん人によるけれど)。
でもやはり、歳を重ねて見えるようになること、見えるようになるからこそ出来なくなること…とか、経験を重ねて様々な感情を体験していくうちに共感ポイントが変わったり、色々とあるのだろうと思う。
…あ、ちなみに、演劇部の大会の評価は本当、審査員によってぜーんぜん違います。
同じお芝居に0点を入れる人と10点満点を入れる人がいるくらい。
「演技が上手ければいいんじゃないの?」という声がきこえてきそうですが、そういうものでもなくて。
脚本・芝居・舞台セット・照明…etc.舞台ぜーんぶで評価されるので。
合唱でも審査員によって随分と評価するポイントが違いますが、合唱よりも評価が割れるんじゃないかな?と思います。
東京タワーも、昔は時代の象徴だったのでしょうね(1958年)。
当時は新しかったものが、今もなおレトロな美しさを醸し出していて、変わらず観光スポット。
上記の写真を撮ろうとシャッターポイントに向かう途中、ちょうど、いいカメラと三脚を持った人が同じ場所に…って感じでした(私はささっと撮って退散)。
「(うん、ここキレイだよね!!)」って内心思いつつ。
変わるものと変わらないものと…。
人を想ったりする心は不変でしょうけど、文(ふみ)で詩(うた)を読んでいた時代から、ラブレター、電話、メール、ライン…などなど、活用するものが変わると距離感やスピード感も変わります。
今回の作品はリアルとオンラインゲームの間を行ったり来たりしてましたが、インターネットとかオンラインゲームとかに対する感覚なんかは特にギャップが生じやすかったこともあるのかな?と思います。
私は好きですけどね。
「ポケモンの名前言えるかな?」
…で、「151匹(←初代)言えるようになってもどうしようもない。もっと違うものを覚えろ。」と子供の頃に言われた人もきっといるんじゃないかと思いますが、今や世界大会が熱狂の中で繰り広げられて、やり方ひとつでゲームで食える時代になりました。
ポケモンの名前なんて当然で、覚える技、特性、性格、努力値の振り方、持たせる道具…などなどの様々な条件をふまえて、先手を取れるのか取れないのか?どれくらいダメージを食らうのか?というところまで頭で暗算しながら戦っているのが世界レベルです。
いやー…絶対にバカじゃない出来ないゲームですよ。。
親の時代の「当り前」を子どもに押し付けないほうがいいなぁ…と思いながら、どんどん詳しくなっていく娘の成長をみています(笑)。