こないだ、別のお部屋のベッドで華麗に散髪されているお子さんがいたので「病院には専門のスタッフさんがいらっしゃるんですね~」って看護師さんに話をふったら、その子のお母さんだったというオチ。
お母さんか!!
幼稚園もそうだったけど、人が集まると色々なスキルを持っている人がいる。
幼稚園なので、今現在の「仕事」はしていなかったりもするのだけれど、美容師さんをはじめとして「手に職」系の人はやはり、行事やサークルでも、何かあるとそのスキルを発動する。
女の子の小物や服がいいなぁ…と思ったら、洋裁専門の人だったり。
うちの旦那ももともと新劇の俳優だったので、役者系の配役では毎年恒例ポジション。
私は私で、クリスマス祝会でピアノか歌をやるのが毎年恒例ポジション。
昨日、病院で「今後の仕事について」スタッフさんからきかれた。
「今現在普通に働いているの前提」では無い質問の仕方だと、正直ほっとする。
末子が生まれてからは、旦那の負担もだいぶ減らしてもらって介護休暇を使いまくり、本当色々な人に支えてもらっている。
でなきゃとても回せない。
「母親が働くことは想定していない」…むしろこっちのがここのスタンダードだ。
自宅で開業予定。
…というのは、恵まれている。
これが「手に職」系ではない、お勤め必須のスキルであれば、私はどうしていただろうかと思う。
超えなければならないハードルの高さが全然違う。
点滴を外していてもいい時間帯が存在することも、24時間30分単位とかで休みがとれない痰の吸引が無いことも、医療的ケア児の中でも相当に動きやすい部類に入るのだろうと思う。
少し話が変わって。
憲法草案では、「家族は、互いに助け合わなければならない。」という文言が加えられている。
生活保護受給者は増え続けている。
保護を受給申請すると、その人の資産がないかどうか、その人を支援する家族・血縁者などがいないか?というのが調べられる&打診があるらしい。
断ることが「今は」出来るらしいけれど、上記の文言が加えられたらどうなるのだろうか。
昔は…というか、今もだけれど、結婚を考えている相手の家族に働けない・働いていない人間がいる、等の条件がある場合、結婚を躊躇われる理由になる。
理由は言わずもがな、「助け合わなければならない。」という見方が一般的にあるからだ。
それが、今度憲法で明記された場合、障害者やニートなどを抱えた家族の問題は、より一層閉鎖的な「家庭の問題」になってしまうのではないだろうか。
「基本的人権」が保証されていながらも、個人よりも家族をなんとかする義務を優先すべき…という社会になった時、果たして基本的人権は生きているのだろうか?
障害児をケアする母親の人権や貧困について、社会問題であると問題提起している方もいらっしゃる。
しかし一方で「社会問題ではなくしてしまおう(行政は極力負担しないようにしよう)」という動きがあるならば、その負担はどうするのか?
「障害児を産んだ親は、自分の時間と労力の殆ど全てをつかってその責任をとれ。」…とか、それに似たようなことを言う人がいる。子どもを産んだのは自己責任だから文句も言うなと。
それは、「くじ運ひとつの誰かさん」に誰もがなりうるという可能性を無視していると思う。
子どもを妊娠している時というのは、未来に対してとても不安を抱えたりする。
重度障害だったらどうしよう。
他害行為がひどかったらどうしよう。
私が老いていったらどうなるのだろう?
もし日常的に暴力行為があったら殺して、私も死のうか…。
そんなことを考えたりもするんだ。
…こういう不安を抱えなければならないのが「母親」なのだろうか。
障害者の家族になる可能性は、なにも母親という立場だけではない。
それに、生まれた後だっていつどうなるのか?なんてわからない。
第三者の「面倒事には極力関わりたくない」&「自分がその時痛くなければなんとも思わない」という臭いものに蓋をして退ける姿勢が、結果的に当事者だけではない人間の生きづらさや不安感にも繋がっていると思う。
私は色々な顔があっていいと思う。むしろ、色々な顔を持てる社会が健全だと思う。
— よこたん♪9/1Casa ClassicaさんにてLive!! (@utautai_soprano) November 29, 2017
運ひとつで、あるひとつの役割を選択の余地が無く強制されてしまう現状は改善した方が、人はもっと笑顔になれると思うから。
時代の流れで変化してきている部分だと思うし、変化させていくべきものだと思う。
人は「わからない」と不安だ。
未来のイメージがあまりに悲惨だと、不安だ。
相互扶助によってそんな不安感をなるべく無くせたら、差別だって減るのではないかと思う。
「大丈夫だ」の安心感を、人は求めていると思うから。
選択の自由があると思うと、ストレスはだいぶ軽減されると思う。
睡眠の自由、就労の自由、一個人として自由に動ける時間の保証…そういう、人として当り前のように思われる自由が、誰にでもありますように。
「母親なんだから~」…それは、その人を幸せにする激励だろうか?
本当に?
今は行政よりも民間の方が早い。
タバコの禁煙化もそうだけれども、医療的ケア児も母親がデイサービスを作ったりしている。
なければ母がつくる 医療的ケア児のデイサービス続々
声を上げること。繋がること。行動すること。
そのハードルが下がった現代は、進化のスピードが早い。
愚痴ひとつ、「これが嫌だ…んじゃどうしたらいいだろう?」という視点を持っていたい。
人の悩みを解決することの連続、人の夢を実現していくことの連続が、新しい時代をいつも切り開いてきたから。