音楽科に行きたいとせがんで、「うちはそういう家じゃないんだ!!」と怒鳴られていたのももう10年以上昔の話になった(笑)
なんだかんだでお金持ちイメージのあるクラシック音楽の世界。
間違っていないけれど、そうじゃない登り方もあるのだという実体験として、自分のことを書いてみようと思う。
……………
幼少期の私。
4歳からピアノは趣味レベルで習ってはいたけれど、実際「専門コース」にいるわけでもコンクールに出たりするわけでもなく、音大に行くという想定は親には無かった(膨大なお金がかかるし)。
音楽がやりたいと思うようになった中学時代。音楽科を見学に行って心惹かれる。
激昂する父を前に「音楽科へ進みたい!」と泣いて土下座して頼むも、結局希望は叶わず高校は普通科へ。
不本意な高校生活を送りつつ…でも、なんとしてでも音楽を勉強したい…とか思って、「親を説得するにはどうしたらいいのか?」と考えていた。一方で、「うちは音楽に金をかけられる家ではない」ということも高校生になる頃には理解していた。
安定志向の親は、しっかり勉強して安定した職業に就くことを望んだ。
心にあったのはただ音楽が学びたい…という思いだけだったけれど、教員免許をもっていれば将来困ってもどうにかなるだろうという打算もあって、
「学校の先生になる」
というのを口実に、大学受験では教育学部を第一志望にした。
音楽系を受けて良いのは現役のみ。浪人した場合は「親の希望通りの大学に行く」という約束をしての受験。
ゆるーくやってきたピアノは専科では厳しく、幸運にも元から声がわりと出たので声楽を専科にして参戦することに(その頃にはすっかり声楽の方が楽しくなってたけれど)。
…というのが大まかな流れ。
受験生の頃の思い出から書いていきますね (↓下に続く)
音大の夏期講習・冬期講習で思い知る自分の状況
教育学部一本というわけではなく、学費を調べて音大に比べるとだいぶ安かった日芸(日本大学芸術学部)と併願。教育学部にはないのだけれど、音大とかには夏期講習や冬季講習というのがあって、受験予定の高校生などが教授のレッスンを受けに行く(そこで連絡先をもらって師事するきっかけにする→教授の「門下生(弟子)」になる→傾向や対策がわかり入学しやすくなる→そのまま大学でもお世話になる…という流れ)。
そんな「一般常識」も知らなかった私。
他の受講生に
「(この大学の)どの先生に師事しているの?」
と当然のようにきかれ(夏期講習に来ている=だいたい第一志望という認識?)、
「学校の音楽の先生に教えてもらってる」
とこたえ…。
「………(何言ってるのこの人?という視線と沈黙)。」
一瞬少し首をかしげたその人は、それ以上は何も言わずに去ったw(ショック)
「どこに住んでるの?」「大阪」「毎週土曜日に新幹線でこっち(東京)に来てる」…。
そんな会話がまわりで繰り広げられている。
レッスン費だけでワンレッスン1万超えが当り前(1~3万が相場らしい)、専科だけではなくて副科や楽典のレッスンだってある。
受験生の段階で月10万以上かけているのが珍しくない世界であるということをその時初めて知った(無知)。
聞こえてくる会話にただただ、惨めさを痛感した。
お金が無いという現実
「うちはそういう家じゃないんだ!!」…と怒鳴られ、うちには金が無いのだと思った高校生の頃の私。
なんだけれども、自分の親の職業はというと、司法試験に合格した人がなる職業。
世間一般的にはむしろ「金持ち」のイメージ。
(でもこれで「色々と削って調整すればなんとか受験準備出来るレベル」の経済状況。資産家や羽振りの良い経営者のようにワンレッスン数万円をぽんと出せるレベルではやはり無いのが実情。…と書くと、どの程度がこの業界の「普通」なのか伝わるかな?)。
だけれども父親はもともと貧乏生活の中、新聞配達をして上京してきて、苦学の末試験に受かった…という背景があり、貧乏するということにかなりの恐怖を持っている人だった。
育った環境が貧乏…ということで、小金を持つようになっても思考はなかなか変わらない。
街で配っているテッシュを往復して貰って喜んだり、子どもの手伝いのミスで卵をひとつ落としたら激昂するような感じで、思考や行動は「生活に余裕がない人」のまま。
ただ一点お金をかけるのはいわゆる「お勉強」に関する教育費。父は「勉強さえ出来れば食っていける」という信念を持っていた。自分がそうだったように、子どもにも試験に受かりさえすれば安泰という職業を望んでいた。そして、それ以外の生き方を激しく否定した。
今思えば父が持つ「貧困への恐れ」からだったんだけれども、そんな感じの日常だったのですっかり「ウチは金が無い」と思っていた(実際、音大に進学するには決して「ある方」ではないが)。
音楽をやりたいと望む一方で、そんなことを言うのはいけないことだと思っていた。
ピアノの先生に「上の先生」を紹介されたけれど、そんな金は無い。そんな理解は無い。
お金を出してくださいなんて言えなかった。しかもワンレッスン1万円以上するのが普通…??無理。そんなの頼めない。
そもそも反対されているのに、応援してくれなんて言えなかった。
また怒鳴られる…と思った。
人様のご厚意に甘えながら…
「上の先生」を紹介されるも、連絡出来ずにもじもじ…。「ごめんなさい、ちょっと厳しいです…。」
今思えば私の対応はかなり問題があったなぁと思うのだけども、思うように動けない私を察してピアノの先生はボランティアでレッスンを延長してくださることに(涙)。
月1万円ちょっとの「お月謝」。
よその受験生のワンレッスンか、それに満たないような金額。
声楽は学校の音楽の先生にみてもらい、楽典は問題集を借りて勉強した。
色々あって情緒が不安定な高校時代だったけれども、本当に温かく支えてくださる方たちに救われていた。
そして…
受験…サクラサク🌸
日芸は落ちました!!(笑)殆ど自分一人で練習していた私は、試験中、なんと間奏で歌って伴奏を止められました(笑)。
受かるわけ無いわな。
で、なんとか教育学部に滑り込みセーフ。
…殆ど学科試験で合否が分かれて、実技は一定レベル以上あればOKという大学の試験で、…ではあるんだけども。
合格通知をもらった時の感動の涙は忘れられません。
「やっと…やっと音楽が心おきなく勉強出来るーーーーー!!!ヽ(=´▽`=)ノ」
でも、大変なのはここから…(↓下に続く)
大学入学…「出来て当然」の中に入ってさらに膨らむ劣等感
当然、みんな楽譜が読めるしピアノが弾ける。何かしらの楽器に特化している人ばかり。
強豪の部活で毎日何時間もやってきた人、きちんとレッスンを何年も受けてきた人…ばかり。
「コンコーネ50」が終わったとか言ってる人がいる。
一方、自分はというと…。
コンコーネもほぼほぼやっていない状態。
やってきたことはというと、殆ど受験に必要だった曲だけ…って言ってもいいくらい(爆)。
曲も知らない。教則本も知らない。古典派とかロマン派とか作曲家もよくわかってない(楽典の勉強はしたけれど音楽史の勉強をしていない)。
吹奏楽部が強い大学だけれども、無論吹奏楽も未経験。コンクール談義で盛り上がる同級生がいても、そもそもコンクールやコンテストに出たことすら無い。
活動の盛んな大人の合唱団に所属しているだけで(それも実質経験としては1年半のみ)、楽譜は読めるけれど「ほぼド素人」が混ざっている状態。
…だった。
希望があったのは、子どもの頃から特に苦労なくある程度の声が出たこと。
当時は知識が皆無だったけれど、技術はともかくとして「持ち声(楽器)」はよかったらしい。
たぶんそのおかげもあって、私の圧倒的に不足していた経験値にはあまりみんなは気づいていなかったかもしれない。
入学当初から、
お金払ってもらって勉強できるこの4年間でいかに技術を身につけるか?
ばかり考えていた。
オペラって何?くらいな勢いだったけれど、オペラの研究をするサークルに入った(サークルの活動内容は途中で変わってしまったけれど)。
浮いてたけどとにかくがむしゃらに勉強した
心のそこから「学校の先生になるのが夢!!」っていうわけで入学したわけではないので、だいぶ浮いてたwあったのは、「先生でも志望していれば親は納得するだろう」という打算だった。
むしろ学校に対しては、転校ばかり&いじめられていた経験と先生の対応にも不信感を持っており、「なんで学校はこんなに理不尽なめに遭いながら通わなくなてはならないのか?」「なんで学校では法を犯しても罰せられないのか?」「どうして学校は無法地帯なのに『ここは正しい場所』みたいな顔してるのか?」とか、その答えを見つけられるのなら見つけたい…とか思っていた(嫌なヤツだな~w)。
無論、そんな答えはなかったけれど。
学校を肯定的に捉えている人が集まっている場所だった。
浮いてる…!!と感じたけれど、でも「楽しいキャンパスライフ」などはそもそも考えていなくて、「とにかく音楽の勉強をする」しか頭に無かったので、ろくに遊ばず勉学に励んだ。
大学卒業…「研究生」として大学に残ること4年
充実した4年間で、めきめきと力をつけた私は音大非卒コンプレックスを抱えつつも、「音大卒と遜色ない」って言ってもらえるくらいの技術を習得。…でも現実的に大卒で何か出来るのか?っていうと、なかなか厳しいのが現状。
ピアノや弦楽器は20歳くらいでもう完成しているけれど、声楽の楽器が完成するのはまだまだ先。
まだ技術的な問題で思うように歌えないもやもやがあったので、まずはもっと自由に歌えるようになってからだなと思い、大学に残ることに。
ちなみに学費、年間16万円。(ありがたい)
師匠がご退職されるまで4年間ねばった。(合計8年!・笑)
そして現在…非音大卒の音楽家のはしくれとして
普通は受験を見据えた段階から膨大なレッスン料を払いながら何年も受験対策して、学費の高い大学に入って(もしくは国公立とかに入って)、コンクールに挑んで入賞したり、留学したり…っていうのが音楽家…特に演奏家を目指す人のコースなのでしょう。(急に「ですます」調になりましたw)
レッスンもコンクールも留学も、演奏会に足を運ぶのもタダじゃありませんし、なんだかんだ何かとお金のかかる世界であることに変わりはないのだと思います。また、それが可能な人たちの集まりなのだということも、そうなのだと思います。
自分がそもそも演奏家を志望していたのか?という点では、ただ好奇心で「もっと自由に歌いたい」と「いい刺激を受けたい」しかあんまり考えていなかったのですが(←若さゆえ?笑…でも音楽家になりたいとは思ってましたよ(^^ゞ)。
今、マイペースながら続けてきて、聴きたいと言ってもらえることや教えて欲しいと言ってもらえるようになりました。
目指す職業が明確であればそれに到達するための「王道」の道はありますが、あぶれてしまってもなにがしか違うカタチで近づいていくことは出来るのだということも体験としてわかりました。今思うのは、道はひとつじゃないということです。
…そもそも「お育ちが違くて」この世界で普通とされている肩書きすらもよくわかっておらず、「歌いたい」しか考えていなかった私は「業界の王道が何なのか」すらも、いい歳になるまで知りませんでしたけども(笑)。
今まで「自分は音大卒じゃないし」っていうコンプレックスもありましたし、まだまだ全然足りないんじゃないか…っていつも思ってましたが、でも、非エリートなら非エリートでいいじゃないかと思うようになった最近です。
「自分が間違っている」方にいることを恐れていましたが。
出身大学から「声楽を勉強している」と言ったら藝大の人に鼻で笑われたことも実際にありますし、私がいわゆる難しい曲を歌ったら「それを歌えるほど学んできているとは思えない」と言われたりもしました。
「~なんかが」とか「~のくせに」というのは感じてきましたが、でもそれは、私自身がそう思っていたから敏感に反応してしまっていたのだとも思います。
「音大卒じゃないのに生意気」になるのか「音大卒じゃないのにすごい」になるのかは捉え方によって違いますし、そして後者であったとしても「教育学部出身にしては」というニュアンスが含まれていることもあるのでしょう。
でも思うに、人の価値を「ジャッジ」したり、自分もジャッジされることを前提に何かを身に着けたりしようとし始めるとなんだかどんどん自分が自分では無くなっていくような違和感をおぼえます。
小学生くらいの頃、ピアノ習ってるって知るやいなやいちいち進度をきいてきたり「私もうそれ終わった!」とか言う子いるじゃないですか?
ああいうの、好きじゃないんですよね。大人でもいっぱいいますが、人にマウントとって何かが変わるということはありませんし。
私は音大卒ではありませんが、でもそれがネガティブな意味を持っているという思い込みを手放します。
私はただ好きで歌って、好きで勉強しているので、マイペースだけど、それでいいかなと。
幼少期から家の教養レベルが高くて、文化的資本が豊かな家庭に育った人間では実際無いので、「お前なんかは相応しくない」と言われるのなら、それはそれでその人の中ではそうなのでしょう。人生における優先度が違うのだと思います。
それでも聴きに来てくれる人がいたら、それはありがたいことなので、感謝しながら歌おうと思います。
ハウス栽培の花があるなら在野の花があってもいいじゃないですか。
…野に咲く一輪の花!(←プリキュアみたいだなw)
みたいにして歌っていこうと思います。
人生は壮大な実験。
「難しい理由」ってたくさんありますけどね、どういう人生を選び取っていけるのか、まだまだ常に挑戦していこうと思います。
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音楽の専門教育を受ける前に「足切り」
こんにちは。はじめまして、愛知県在住の石川と申します。
ブログを拝見しまして、共感しました。私は音大進学あきらめたんですが、音大にずっと憧れてました。
今は40代になり、今の音楽との関わりかたに満足できるようになりましたが、長いこともやもやしてました。
家族はピアノ弾くのも演奏会いくのも反対していたので、音大受験したかったなと後悔してました。
今は声楽個人レッスンで、音大講師の方にみて頂くようになり、楽しく充実しています。
みなさん色々なご苦労があっての今、なんですね。
遠くからですが、応援してますね。
ご返信遅くなりましたm(_ _)m
メッセージどうもありがとうございます。
音楽…特にクラシックはどうしても習うことが前提になっている部分があるので、なかなか色々とハードルが高いものなのかなと感じます。
事情を抱えて「音大」に行けなかった人は、私だけではなくて身近にもたくさんいました。
でも、大人になって自分で選べることが増えるようになると、自分の力で状況を変えていくことが出来て、そうやって生涯の友として音楽と付き合っていく姿を見ると素敵だなと思ったりします。
私も、音楽を愛する人を応援しています^^
励みになります。
どうもありがとうございます!