YouTubeをみていると思うんですけど、クラシック音楽の動画ってポップスの動画よりも低評価の割合が高いんですよね(日本人のものが特に)。
普通に上手いし、映像もキレイ…音質だって悪くない…という動画にも低評価がついている不思議。
いや、もちろんどんな動画にも低評価はつくんですけど、なんでこの動画にこの割合で低評価??とか。
わざわざ「こんなん全然ダメだ!!」と自分の時間と労力を使って書き込みするのとかも…好きなものを聴くよりもこいうことをするが好きなのかぁ…(´・ω・`)と思ったり。
だって、動画なんて見放題ですよ!?
書き込んでる時間があったら、いくらでももっと好きなもの探せますよね。
ポップスって、クラシックよりももっとたくさんの動画があって、それこそ色々な毛色のアーティストがいるじゃないですか。
ファンもそれぞれ好きな人のを聴く!って視聴の段階でなってるから、わざわざ批判するようなものをそもそも観ていないんでしょうか?
対してクラシック。
「こういった点が技術的に云々」「本番の歌声と違う」…etc.
みたいな。
クラシックを聴く人間の属性に批判好きが多い…のか…?
ポップスを演奏するのにだって技術は必要だけれども、クラシックになると技術をジャッジする人の割合がぐっと増えるという。
好き嫌いで片付かない。
そして、技術的な問題ではないのに声質の違いのことをことさら批判する人がいたり…。
いや…みんながみんな訓練次第でネトレプコみたいな声が出るわけじゃねぇぞ?( ̄▽ ̄;)…と思ったり。
楽しみ方の違い…?
「その人のファン」が聴いているわけではないから?
「正しいこと」を追求するのが好きな人がポップスよりも多い?
同じ曲を歌うから比較される?
とか色々考えたり。
ポップスも名曲をカバーする人がたくさんいますけど。
たまに「本物(先にヒットを飛ばした方)の方が上手い」とか書き込んでる人もいますが、なんかそれって「その人が歌う」っていうことを無視してる感じがして個人的に好きじゃないです。
カバーって偽物なのか?
いやいや、モノマネ選手権してるわけじゃないよねって。
その曲をその人が自分を通して歌うから意味があるっていうのがカバーなんじゃないのか?と。
いちいち優劣で比べなくても、好きか嫌いかっていうだけでいいじゃん。…と。
ベートーヴェンの「運命」聴き比べって中学生の頃にやりましたが、
「ジャ・ジャ・ジャ・ジャーン」
がもう、指揮者によって全然違うんですよね。
「こんなに違うんだ!おもしろーい♪」って感じの授業でした。
結局、好みですよね。
自分も技術が欲しいって、上手くなりたいってずーっと思ってましたが、、、今も自分が望む表現が出来るようになるために身に着けたい技術はありますが……「上手さ」で競ってると、他者からしたら別に私じゃなくてもいいっていう結論に辿り着くと思うんですよね。
安さで勝負してると、もっと安いところにお客さんが流れるのと一緒で。
技術は必要ですが、手段だなぁと。
自分がその曲を通じて描きたいものを描く為の手段。
人の批判を受け取るのも、自分が意図する表現が出来ているのかどうなのか?という軸があってこそ。
音楽って学問の要素がありながら、とても個人的なものでもあると思います。
プロの歌唱に心地よく酔う瞬間がありながら、普段ランチしているような友人(アマチュア)の輝く姿になんだかとてつもなく感動することもあります。
5000円払ったプロの演奏会よりも、1000円のアマチュアの演奏会に心を揺さぶられるというような。
お金に換算するのは難しいけれど、そう思ったら5000円の演奏会よりも1000円の演奏会の方が私にとっては時間の質を…、もしかしたら人生の質をも変えてくれる価値があった演奏会だったってことです。
技術云々じゃない。
そこに、その人の生き様がみえたから。
なんて考えたり。
正しいとか間違っている!を追求するのもまた楽しみ方のひとつかもしれないけれど、最終的には好き嫌いでしかなくて、価値って人によって変わってしまうよね。
という結論。
いい男はこういう男だー!っていうのがあったとしても、結局好みですし。
…そんな私は、私と身長がそう変わらない旦那が大好きです(ノロケ・笑)。
「正しい」か「正しくないか」よりも、「心地よい」か「心地よくない」かで好きなものを選ぶようにしたら、普段の心が軽やかになってきた最近でした。
おしまい。