ざっくり計算してみると、音楽においての「一万時間の練習」って、超普通レベルなんじゃないかと思った。
超普通というのは「プロとしてやっていけるレベルとして」。
大学の頃のピアノバリバリ弾けます!っていうタイプの子達はたいてい「一日2時間以上は弾かないと気持ちが悪い」と言っていた。
そしてだいたいピアノ専科!って感じの子は中学・高校くらいから同じくらいの練習をしていたりする。
最低2時間を365日続けたら、それだけで730時間。それを中・高・大で続けただけで7300時間。
…小学生の頃の練習が30分~1時間程度だったとしても、大人の最低ラインが2時間であれば20代前半には一万時間に到達してしまう。
これくらいの練習をしている人はザラ…だけど、一流か?っていうとそんなに甘くない。
たくさん練習すりゃ良いってももんでも無い…けれども、プロとして通用するレベルの最低ラインが1万時間程度…なのかもしれない。
もちろん請け負う仕事内容にもよるけれど。
(リストやプロコフィエフは弾けない私レベルでも簡単な伴奏の仕事は経験あるので…)
実際、バイオリンやピアノなどの若い頃から訓練する楽器はプレーヤーとしてのスキルが商品として通用するようになるのは10代~20代前半だったりする。
1万時間…っていうと果てしないような気がするけれど、毎日2時間練習するのを13~14年続ければ到達する…と思えば、別にたいしたことでもない。
それぞれの楽器を別々にカウントしないで「音楽」という括りにしたら、より一層たいしたことでもない(私ですら到達している)。
もちろん「一万時間」の練習内容が意味のある練習でなければ意味ないんだろうけども。
ジャズ漫画『BLUE GIANT』に、
「プロになれる子となれない子、どこに分かれ道があるんだろう…」
っていう母親(音楽の先生)の問いに
「才能。
努力の才能。
技術の才能。
心の才能。」
ってその娘(音大卒…一般企業就職)がこたえるシーンがありますが…
思い返してみると努力の才能・技術の才能を持ってる人って、たくさんいたなーって思います。
それは別に音大じゃなくても、教育学部でも。
コンクールに入賞したり。
でも、「プロにならないの?」の問いに、ノーを言うんですよね。
好きだけど、ノーを言うんですよね。
「なれない」って言うんですよね。
私が楽譜とか渡すとさらーって弾いてくるんですけれど、「なれない」って言うんです。
…あれ、すごい謎なんですけど(笑)。
プロレベルの腕前を持ちながらも「依頼をこなす」のではなくて「自分の好きな曲を探求したい」ということなのか…?
いわゆる難曲ばかりのコンサート・プログラムでリサイタルを自分が納得出来るクオリティでひらけるかどうか?という点で「なれない」なのか…?
いろんな役割を担ったピアニストがいますけどね。
…「なれるかなれないか」よりも「なるかならないか」で、「ならない」を「なれない」と言い換えているのかもしれません。
漫画では「心の才能」に関して、雪でも川原で練習する主人公に、その才能があるというのを示唆するエピソードでした。
そもそも主人公は「世界一のジャズプレーヤーになる」って決めてますが。
決めてるからなれるのかなと思います。
とりとめもなく、雑感。
話変わって…。
昨日は母の日。
遂に我が家にグランドピアノ様が降臨。
— よこたんのメモ帳 (@utautai_soprano) May 14, 2017
きれいな音と、やりたいことに期待以上に応えてくれるのが楽しすぎて練習室に5時間もひきこもってしまった。学生みたーい(笑)
そしてお母さんピアノばっか弾いてる~と、子どもからも旦那からも不満が…。ごめん。母の日だから許してネ(‐人‐)
母親らしいことは何もせず(爆)、家事をほぼ旦那に丸投げし、練習ばっかりしてた母の日でした。
「練習は全然いいけど、かまって」と言われました。
ごめん!!!
いやしかし、なんて美しい音!
「私はこんな感じにしたいんだけどさ~」って言ったら期待以上に「こんな感じ~?」って応えてくれるグランドピアノ様に感動。
あぁ~~~~~。
幸せだ。
私はなんて幸せなんだろう!!!
「近所迷惑だから」と音を出した練習が家で出来なかった頃(大学に入れる前)。
学校の音楽室を借りたり、施設を借りたり、カラオケボックスを「レンタルルームで」借りたり(機材使用料が割り引かれる)、地元の沼に向かって歌ったり(しかもクラシックw)していました。
家で思う存分に練習できる環境って素晴らしいですね。
思い描いた練習環境が家にある幸福感。
死ぬまでここで存分に練習出来るのかと…!!! ٩(ˊᗜˋ*)و.
あぁ、マジ、生きててよかった。
おしまい。