生まれたばかりの頃は持っていなかったのに、いつの間にかたくさんの「~べき」を身に着ける。
いつの間にかたくさんの「ねばならない」を身に着ける。
いつのまにかたくさんの「~してはいけない」を身に着ける。
…いつの間にかたくさんの「そんなの出来っこない」を身に着ける……。。。
これが正解。
これが間違い。
これが素晴らしい
これは恥ずかしい。
これをやるべき。
これはやるべきではない。
これくらいは我慢すべき。
好きなことばかりやるなんて非常識。
身の程をわきまえろ。
あなたは「こう」
あなたは「これくらい」。
裸だったはずなのに、いつの間にかたくさんの鎧を着込んで武装している。
「正しいこと」を主張して。
「これが当然」を主張して。
それを選んだ記憶なんて無いのに、いつの間にか身に付けているんだ。
そしてそれを身に纏うことを疑うことすら知らず「自分は間違っていない」と主張して。
少し違う人間を「そんなの間違ってる」なんて、時に苛立ちを感じながら。
…自分が身に付けている鎧の冷たさ、硬さ…のしかかる重さには気づいているだろうか。
過去を積み重ねる度に、いつの間にかたくさんの可能性を否定していく。
自分には向いてない。
今まで出来なかったのだから出来るはずない。
自分はこんなもんだ。
そうやって選択してきたことは、幸せだろうか。
そのルールは、真実だろうか?
そのルールは、本当に自分が望んだものだろうか?
そのルールは、自分を、そして他人を幸せにするものだろうか?
自分が自分に課してきたルールがもしも、自分を幸せから遠ざけるものだったのなら、そのルールを破る許可を与えた時、あなたは何を選択するだろうか。
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結局、ただ歌いたかったから30過ぎる今までずーっと歌ってきたけれど、ちょっと前まで、どこかで「許可」をもらわないといけない気がしていた。
4年前、自称プロ活動を始めた時も、罪悪感を抱えながら。
依頼を貰った時も、嬉しさの反面「(本当にいいのかな?)」とビクビクしながら。
育ちの違う、分不相応な人間が、本当にやっていいのか?と。
今まで歌を歌ってきて、ポジティブな言葉も、ネガティブな言葉も、たくさんもらってきた。
自分の非力さに「まぁ、こんなもんかぁ…あはは…」って自嘲しながら、歌ってきた。
好きだからっていうのももちろんあるけれど、「いつか強くなれる」みたいな気持ちもあって。
でも、上記のようなことを自分に問いかけて、「歌っていいじゃないか」と、重く考えないで自分に許可を出すことにした。
全てネタにしてしまえば、それはそれで面白いかなと。
人の人生は面白い。
平凡に見える人生も、みんな結構色々あるもので。
人の「生」を歌うのだから、もうぜーんぶ、いいことも悪いこともネタにしてしまえばいいじゃないかと。
文章にも書いている人の人柄って出るものだと思う。
ためになるとかよりも、「この人、なんか好き」って思うと何気ない文章でも読みにいく。
コンサートも「その人だから」聴きに行くことって多い。
なんていうか、エネルギーみたいなものを感じたくて行くのかなって思うようになった。
「その人」を通してその曲が演奏された時に見える景色がみたくて。
「その人」の「生」の一部を感じたくて。
んじゃあもう、私も…私は私でいようと。
良い武具が無いからって卑下したりするのもやめようと。
最近、鎧を脱ぎ始めた友人がいる。
もがきながら。
私は「いい子」でいる彼女よりも、素顔の彼女をもっとみてみたい。
そう思う私がいるのだから、きっと素顔の私でも大丈夫。
鎧を脱いだら、きっともっと軽い。
鎧を脱いでも、刃を向けられても、実はその刃の悲しみに気がついたら、その刃は消えてしまうんだ。
とりとめもなく、思ったこと。