25の時、出産後に再び大学の研究生に戻る話をしたら、大学の同期に「まだやるの!?」って驚かれた。
咳喘息からステロイド治療で声帯麻痺になったり、家族が今も入院中だったりと色々あるんだけれど、でも続けてきてもう30代。
先週も手術があったりして、来月もまた手術があったりする(緊急を要するようなものではないけれど)。
コンサートまであと2週間弱。
こないだ、「よくこの状況でやろうと思ったね」と言われたけれど、退院後の生活の方が読めないので今のうちに一回やっておこうと思って~って話してた。
もう5~6年位前だろうか。
前後の会話は覚えていないけれど、師匠と会話をしていた時に「音楽はやめないので」って言ったら、なんだか嬉しそうな顔をしていたのだけれど、その時はこんなにもやめてしまう人が多いとは知らなかったので「(…なんでそんな嬉しそうな顔してるんだろう?)」って思ってた。
卒業後数年は、また何かやろうよ~と言えば、やるやる~と集まるメンバーがいた。
私は一人目を24で産んでるけれど、周りのメンバーがまだ殆ど未婚の中、産後数ヶ月だろうが参加しいていた(途中で乳が張って痛くて悲惨だった…笑)。
…もちろん生活リズムもままならず、腹筋もまだたるんでるしでクオリティの面では全然納得のいくようなものではなかったけれど。
歳月が流れると、「やりたい」と言いながらも「でも…」が増える。
「やる」と集まりながら、「やっぱりやめる」というメンバーが増える。
温度差を感じて私は私で声をかけなくなったりして…いつしか「あの頃は楽しかったね」と過去の話になる。
さみしーなぁ。
雑務を一手に引き受けても、そこまでしても「やりたい」と言う人は限られるという現実。
なんだかんだと、仕事、結婚、転居、出産、育児…で音楽から離れていく人が多い。
また、「育児中の母親はこれくらい我慢すべき信仰」みたいなのを持っている人も未だに少なくない。
私もさすがに息子が生きるか死ぬか…という局面で、管だらけで先行き不透明だった数ヶ月は、クラシック音楽から遠ざかった。…というか、この先自宅看護できちんと続けられる気がしなくて、楽譜を見ると同時に「お前はもう出来ないけどな!」って頭の中で声が響くような感じがして、楽譜がちょっとこわく感じる時期があった。
子どもが喜ぶ曲だけ「楽しく」弾いて歌っている感じ。
…でもね、やめられないんですよね。
ポピュラー音楽も楽しいです。…が、声の鳴りが全然違うので、やっぱ物足りなくなるんです。
そして、またMARCHESI(歌のハノンみたいなやつ?)を出してきて、歌い始める…という。
「続ける」とか「やめない」っていうか、「やめられない」。
お腹空いて何か食べるのとか、空気吸うのと一緒。
排泄しないと具合悪くなるのと一緒。
まだまだ若い頃は、上手いとか下手とか気にしてました。
っていうか、「上手くなりたい」ばっかり考えてました。
でも、なんというか、もっと根っこの部分で音楽と共に生きていきたい…というのがあるんだなぁと、今は思います。
「向上するための訓練」だったのが、いつしか歳を重ねると「衰えない為の訓練」になるとききます。
運動的な技能は衰えるでしょう。一方で、演奏に深みが出るともいいますが。
そういう、自分の変化も感じながら向き合っていきたいなぁ…と。
活動の盛んなアマチュア合唱団で、何十年も歌い続けている人生の先輩方がいました。
80歳を過ぎて、体力的に厳しい…ということで「引退」されたけれど、先日数年ぶりに偶然お会いした時に、そこじゃないと味わえなかった濃くて宝物のようだった「あの時間」について語っておられました。
一緒に立ってきた舞台で、半世紀の歳の差を超えて芽生えた仲間意識。
いつまでも若々しくて、可愛くて、歳の重ね方の美しさがそのままその人の雰囲気にあらわれているなぁと感じさせてくれるような、人としての魅力が輝く女性です。
何かひとつでも、心の底から好きなことを続けることができる生き方はとても幸せです。
そんな幸せな生き方を私もしたいし、そんな幸せな生き方をしている仲間を増やす活動をしたいなと思う最近でした。
追記。
のどの違和感はまだちょっともやもやしてますが、たくさん寝て、ひどくならずにキープしてます。
前回の記事のように、本音を吐き出すと治るのかはわかりませんが(笑)。
…でも、心の問題は身体に出てくるというのは感じているので、今世にいただいた「自分」という乗り物と上手く付きあっていく生き方をしていきたいです。