エンパワメント

2018-07-21 00:09:31

すんごいクソ真面目に長文で洗脳や教育、マッチポンプな世の中の仕組みについて雑感を書いていたんだけど、うまくまとまらない。

壮大すぎた。

わ~~~ヽ(=´▽`=)ノ~~~♪

長いよ。

―――――――

「ポア」という単語の意味について調べて以来、洗脳とかについて考えていた。

殺人を言い換えた言葉だと多くの人は認識しているけれど、実は単純にそういうことではないらしい。

輪廻転生を前提とした考え方や教団の教えがあって、「現世を一度終えること」で彼らを助けてあげるという、そういう「いいこと」だというニュアンスが含まれているようだ。


あの若さでここまでの組織をつくった事実には、学歴とかでは測れない圧倒的な頭のよさを感じる。
もっと今を生きる人を本当の意味で救う活動をすればよかったのに。


利益を得るために、頭の良い連中は洗脳する。

某企業が女性の社会進出を謳った目的が、子どもをより早期に顧客として育てることだったと読んだ。
子どもを確実な顧客にするために教育(洗脳)するには母親が邪魔。ならば、女性の社会進出を謳って育児を企業の息がかかった場所に外注させようと。

そして企業の利益は爆発的にあがったらしい。


みんながみんな、自分ではない人間を、尊厳ある一人の人間として認識しているわけではない。
マッチポンプで成立している世の中の仕組み。

人の不安を煽って商品を売りつける。
売りたいものを「価値のあるものだ」と教育して売りつける。
役に立たないものを一般常識として強いる。
あらゆるものにレッテルをはっては優越感や劣等感を育て、人の優越感をくすぐって鼓舞したり、あるいは自信を潰して不安にさせてすがらせる。

そんなんばかりだ。


教育学部にくる人間は、学校を基本的にはいいところだと思っている人が多い。
窃盗、器物破損、暴力、人権侵害…大人がやったら捕まるようなことですら穏便に処理される学校という無法地帯は一体なんなのだろうか?と思っていた私は、授業で「学校教育は愚民政策だ」とか発表したりしたりしていたけれど、確実に浮いていたように思うw

師匠は某名門大学からのオファーも蹴って、「世の中を変えるには教育を変えなければ」と思って教育学部にい続けたらしい。


教科としての音楽の意味を考えると、とても今の日本に不足している部分だと思うのに、現場の現実は指導者や集まる生徒達によってはそれこそ真逆を行くことすらある。
教諭の怒号。
軍歌を歌うように?
命令に従って「心を一つにして」歌おうと?


…心は一つにはならないのだ。
みんな違うのだ。
違うことが前提なのだ。
違うことを前提に、わかり合うことが難しいことを前提に、それでも伝えることを、伝えあうことを、衝突しても互いを尊重しあいながら存在し続けることを学ぶのが大事なのではないか。

西洋音楽の土壌は我々とは違う。
それをやろうとすることは、まず前提として自分と他者の違いを認識することだ。

音楽は、作品と自分、自分と共演者、そして聴衆…というコミュニケーションが存在する。

自己主張も、他者を意に介さなければ単なる自己中・我儘。
人の意見を聞きすぎても主体性の無い没個性の他者依存。
今の若者はまた少し変わってきているようにも思うけれど、両極端なケースが多いように感じる。

「人間がひとりひとりが違う」という極めて当たり前のことが無視されている傾向に起因するのではないかと思う。
もちろんこの20年で随分とマシになってきていることを自分の子どもを見ていて感じているけれど。

学校の校外学習で死亡した児童がいたが、「一番弱い子に合わせるのも変」と発言した教諭がいて話題になっていた。
先日数十名の熱中症が出た野球も、いつ人が死んでもおかしくないのに誰も開催時期を検討し直さない。

人命に対する意識も低い。
モノ扱いされているのにNOを言わない人も多い。


人はなんのために生きているのだろうか?

なんのために生まれて、何をして喜ぶ?わからないまま終わる。そんなのは嫌だ!
…って、アンパンマンの歌にあるけれど、「そんなのは嫌だ!」って、むしろもっと言えよ。と。

力をもった者が強いたルールに適応しなかった人間に「弱い」とか「おかしい」とかいうレッテルを貼って排除する。

その人自身が生きること、幸せに生きることよりも「誰かの基準」に従うことが「正しい」のか?
具合が悪い人間が休むのに、なぜそこで罪悪感が生まれるのか?
その罪悪感は一体なんなのか?


罪悪感というのは、その人をコントロールしたい人間が植え付けるものであることが多い。
我々はその「罪悪感」で誰が一番美味しい思いをしているのかもっとよく考えた方がいいのではないかと思う。

滅私奉公が理想的な姿であると洗脳して、罪悪感を植え付け、勉強になるとかやりがいなどといったキラキラした言葉で心をくすぐり、極力手を汚さずに相手が選択するように仕向ける。
…あ、そういえばオリンピックで大量のボランティアを募集してましたね。

なんて。


日本人は自分がモノ扱いされてもNOを言わない人が多い。
不満も言わない。ストライキもしない。守ってもくれない相手に「長いものに巻かれろ精神」を発揮する。「みんなで我慢」を選ぶ。むしろ我慢しない人間を叩く。
「自らの幸せのために行動する」習慣が無いのか…??

学習性無力感?



私は技術訓練に入るのが遅かったし、クラシック音楽を演奏している人達にまざると「育ち」もよろしくない。
そもそも「キャリア組の生き方(結婚・出産後回し)」をしていない。
…「キャリアのためには結婚&出産なんて」っていう考え方自体が好きじゃなかったけど(笑)

でも、いち音楽家の端くれとして、「主体的に生きること」についてなにがしか気づきを与えられる存在ではありたいと思う。

無力化(奴隷化)された人をエンパワメントしたい。
無力化されるような物の考え方をしないようなコミュニケーションを取りたい。

教育に携わる人でやたらと独善的なやり方で成功する人もいるけれど(カリスマとか、一種の宗教じみた雰囲気になる感じ)、それだとマッチポンプ式と根本的なところで変わらない。
どんなに正しさを語っても、従属する対象を変えているだけなら、その人自身は依存しているので自分自身を信じていない。
「すごいのは貴方」&「そんな貴方に師事している特別な私」の図は、優越感は与えてくれるかもしれないが、外の世界はもっとずっと広い。

自分は感じることが出来るし、考えることが出来るし、行動することが出来るし、失敗してもそこから学ぶことが出来るし、またチャレンジすればいいし…って、そういう泥臭い姿も含めた自分が素敵なんだということを伝えることが出来たら、人はきっともっと元気になるのではないかと思う。


何かで読んだけれど、私も、「教育は人を解放するもの」だと思う。

そして思うに、解放された人達はマッチポンプに踊らされにくくなるのではないかと思う。

自分自身に、ちゃんと歩み進めることのできる足がついていることに気がついた人は、強い。
どうしてそのことを忘れてしまう人がこんなにたくさんいるのだろうか?


出来ない理由を探せば、いくらでも見つかるだろう。
出来る理由を探せば、いくらでも見つかるだろう。

どっちの人生の方が楽しいだろうか?

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