学校向け公演から一考

2018-06-08 23:57:00

※長いよ

「どーせいいも悪いもわかんないでしょ」

という制作者側の意図か、いわゆる芸術鑑賞会などの学校向けの公演の時のキャスティングはあまり達者でない人のチャレンジの場として設定されたりする。

…まぁ、実際、それ出しちゃう?レベルでも大多数にはウケるんですけど。
たまーに肥えたお客さんが入ってると、その人だけ不満というだけで。

まさかのハウリング→からのキャスト混乱で歌唱崩壊…だったらしいけれど、まぁ、やるのは人間だから、そんなこともある…のかなぁー?

…でもこれ、自分でチケット買って行ってたらブーイングしちゃう(・ε・`o)笑

さすがにミュージカルやってる劇場でハウリングは無いわー。



でも、学校で提供するものはあくまで「きっかけ」。
むこうもそれを想定してそういう舞台にしている。

私もオペラやミュージカルや芝居だなんて、行ったことがなかった。
高校の芸術鑑賞会で初めて生の舞台を観て、「私もこういうのやってみたい!」と思ったし、とても満足していた(今同じものをみたら色々思うんだろうけれど・笑)。

なんだかんだいって、子供の頃から家族で行ったことがあるなんていうのは、日本においてはそう多くなかった。特に昔は。
そういうものにお金を払う文化に育っている人達だけ。

現代は「しまじろうコンサート」とか、ハイクオリティで家族向けのものがだいぶ一般化したけれども。


…しまじろうコンサートは、いい!!(推し)

小さい子どもを連れている人の状況をよくわかって運営しているから、ベビーカーを置く場所、おむつ替えの台…etc.本当によく行き届いている。
冒頭の簡単な振り付けの練習から、キャラクターの客席登場…など、子供が飽きない工夫も欠かさない。
歌も聞き取りやすい。ダンスもキレイ。
きちんと惹きつける技術を持った演者さん達。

なによりもお客さんをよく見ているなと感じる。
「子供騙し」じゃない。
「親が安心感・満足感を持って子供と一緒に観る」ことを想定して創っている。


舞台に立つと「相手」がいる。
相手をどういう人だと想定するのか。


前者の想定するターゲット層は、「まだ文化的なものに触れる機会がほぼなかったティーンエイジャー」。
後者の想定するターゲット層は、「良質且つ高すぎない家族イベントを楽しみたい子連れ家族」。


企業側はちゃんと「相手」にあったものを提供している。



勉強している人は、お客さんに出さないで訓練ばかりしているうちに、自分の不出来な部分ばかりを見るようになる傾向がある。
出してみたら案外、喜んでもらえたりすることもあるのに。

学生の頃、研究生や卒業生と学生の一部で自主演奏会を大学の近くでやった。
準備期間は学生の部活のようには出来ず、かなりタイトなスケジュール(社会人もいるので余計に)。
お客さんの反応はとてもよかったけれど、「こんなプロみたいな創り方でいいものを創れる程私達は基本的なところが出来ていない」ということで、先輩が不満そうだった(二期会研修生・準会員の先輩もいたので実質プロも混ざっているような状態ではあった)。

当時の私は、「私なんかよりも遥かに実力のある先輩達に囲まれて勉強出来てよかったー☆」と、随分と呑気なものだったけれども。

いいもの。

…たとえ同じものでも相手によって感じ方は違っていて、絶対にいいものっていうのはない。


昔、「あえてプロにならずに、本当にいいものをアマチュアとして創っていくという生き方もあるよ。」と指揮者の先生に言われたことがあった。

…いいもの。(また出た!)


舞台に立つと「相手」がいる。
相手の要望が先か、自分の欲求が先か。
商売にすることを優先すると、前者を考える。

わかりやすいもの。
人気のもの。
…で、プログラムを埋めて「お客さんが喜びそうなもの」を出す。
「お客さん」が求める水準で出す。


専門の訓練に入ると「これくらい当然」みたいにして、与えられる課題に食らいついていくことが続く。
まずは普通のお客さんに満足してもらえる水準を目指して。
…なんだろうれど、そもそもクラシック音楽をお金払って聴く人は多くないので、お客さんと向き合う機会が圧倒的に少ない。

そして、閉じこもって練習とレッスンに明け暮れているうちにいつの間にか難易度があがっていって、ものすっごい高い基準が自分の中に「あるべき姿」として取り込まれる。それに及ばないものや研鑽の途中にあるものがとてもくだらなくて無価値なものであるかのように感じてしまったり。
演奏の機会の無さやお客さんの少なさの理由を自分のスキルにあると思ったりして。

まして手に入りやすい音源や映像は脂の乗った世界の一線級の歌手ばかり。ペーペーのものは出てこない(笑)
またまだ未熟な20代が、キャリアを積んで10年20年と経った人と自分を比べても、そりゃ自分の不出来に悶絶だ。
…ちゃんと文化として根差している場所では本来もうっちょっと手頃なところに「新人さん」の居場所や「地元のプロ」の存在があるけれど、遥かに高いものがあたかもプロの最低基準であるかのような錯覚に陥る(笑)。

学校向け公演みたいに、「合う相手」というのはいるのに。


いいものを目指したい…のはきっと、音楽にハマった人はそうなんだろうと思う。
でも、自分の目指すいいものだけじゃなくて、自分的にはまだなんだけど…というものにも、居場所があることもある。

商売だと創り手とお客さんの間に、売る人が入る。
売る人…すなわち両者をマッチングしてくれる人には、音楽づくりとはまた違うノウハウがある。
事務所に入ったりするとマッチングしてもらえたりする。
芸能事務所は「飼い殺し」も聞くけれど(契約上自由に場を設定できないが、仕事ももらえない)。


いいものを目指していく道中も、何か励みになることがもっとあっていいなと思う。
「こんなの出せない!」じゃなくて。
相手の喜ぶ顔があると、なぜかいつもよりやる気が出たりするのが人間の不思議な性。


…学校行事とか、ハウリングしょっちゅうだったよね。(懐)
こないだ劇場でやらかした人も、「やらかしてもスルーしてくれるお客さん」と一緒に、いいものを目指す修行の道中なんだな。
…と思った。



ながい!!(笑)

読んでくれた方どうもありがとうございます。m(_ _)m

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