2019-02-18 11:08:00
我が子のように自分を愛し、我が子のように人を愛せたら…いいなぁ。
私は、父親が所謂エリートだったため、「出来て当たり前」のハードルが高すぎて、長らく自分を出来損ないだと思っていた。
自分は、もしそれが可能なら、もっといいのがいればトレード(交換)されるような子供なのだろうと。
…そういうものではないなと、今は思うけれど。
障害があっても、日常生活に不便があっても、我が子を交換したいとかは思わない。
今は偉そうに?なるべく「みんな違ってみんないい」系のことを書いているけれど、たぶん昔の私を知っている人はその変貌ぶりに驚くだろうと思う。
出来ても出来なくても、我が子は可愛い。
出来ても出来なくても、自分はいていい。
そういう感覚が身に付いてやっと、自分自身になれるような気がする。
そういう感覚が身に付いてやっと、能動的に学べるようになれる気がする。
そういう感覚が身に付いていない時はいつも、能動的であるようでいて脅迫的だ。
先導する人間が目的に従って人を動かす時、精神的に揺さぶりをかけるやり方がある。
劣等感を植え付けまくって相手を脱価値化した後、救いの手を差しのべてついてこさせたり(ブラック企業のやり方)、敵を作ってまとめたり、選民意識を植え付けて「私達は特別」という集団を形成したり。
そうやって人をまとめるのは簡単だったりする。
でもそういうやり方は歪みを生じやすい。
ある部活で、指導者がそういう支配的なやり方で全国一位になるところがあった。
でも、その部員は正直「おかしかった」。
心の教室に通う割合が普通じゃない。
情緒不安定。他の人に対して高圧的。
外部講師や他校との交流で「意味のわからない本質とは外れた質問をしてくる(つっかかってくる)」との評判。
心理学を学べばわかるけれど、これらは明らかにメンタルの歪みによって起こっている「症状」みたいなもので。
…よくクラシック音楽やってる人はプライドが高いと言われたりするけれど、それらも、実は上記と同じようなことで、何かを心理的に圧力をかけられながら強制されたりした人の「症状」。
なんのために音楽やってるんだろうね?と。
音楽は人生を豊かにしてくれるけれど、これ、豊かになってますか?と。
「お前のままでいてはいけない」
を土台に何かを積み上げても、幸せにはなれないんですよ。
本人が望んで、本人が気づいて、本人が学ばないと。
我が子のように…って書いたけど、そもそも我が子を別人格の人間だと認めないで「親の所有物」という感覚しか持てない人にはわからない世界観。
日本はまだ、そもそも人権意識が低いので難しい話なんでしょうかね。