私がコッテコテの洋モノを勉強するのは、「手段」だ。
道具を手に入れるための手段。
詩に対する反応、言葉の持っている響き、子音のニュアンスのつけかた…そういうことまでやろうと思ったら、正直、「外国語」は厳しいと思っている。
ネイティブのように話せないと、正直「お話にならない」。
表現の域に達しないのだ。
日本語の歌を美しく歌いたい。
…と思ってきた。
けれど、日本語の特性上、日本語の世界観のままで歌を歌うと、「洋楽器」にはならないのだ。
ピアノと響きが同じ位置にいられないのだ。
学生の頃から、日本語の歌をピアノと同じポジションで歌える歌手になりたいと思ってきた。
そのために、あえて洋モノを勉強してきたのだ。
…もちろんクラシック音楽(西洋音楽)も楽しいけれどね。
でも、思うのは、自分の年齢。
もう32歳であるということ。
正直、そこまで身体が丈夫な方でもない。
ベルカントものやロッシーニだのを練習しまくっていても、これをこのまま続けるわけにいかないなと。
そろそろ「残り時間」を考えて行動しなければならないのだなと思う。