無駄な努力

2018-05-30 10:40:00

 

「努力もしてるし根性もあるけど、努力の仕方を間違っている。」

大学一年の時に言われたショックなひと言。

声楽は本来、独学を推奨されないもの。
けれど、受験生の頃、試験までの時間も、受験するような人達にとっては普通のレッスンを受ける資金もなくて、音楽の先生に発声よりも発音や意味&形を整えて歌うこと…に、軸をおいて少し見てもらって受験した。
あとはひとり、放課後毎日完全下校の7時まで音楽室を借りてがっっつり独学してしまった( ̄□ ̄;)!!笑

まぁ、ほぼ声楽はド素人で入ったわけで、どういう練習をすべきか、すべきでないかすらわかってなかったのです。

日本は部活が盛んだけれど、だからといって選手や音楽家がばんばん育っているわけではない。
指導者がいないから。

野球とか、プレイヤー人口が多くて、指導出来る人がたくさんいる競技はいい。
初心者に適切な指導のできる人も結構普通にいるし、高校とかには専門家が入ってきているし、部活が弊害になるリスクが低い。

でも他の部活はどうだろう?

専門家のもとで、中学3年間、高校3年間、毎日2~3時間訓練したら、かなりのスキルが身につきそうだ。
…けれど、そんな現実は無い。

たまたまいい指導者に巡り会えた人だけが磨かれる。
そうでなければ変な癖がついて、上達が見込めなくなることすらある。

人との巡り合わせには運もあるけれど、運を補えるものがあるとすればお金だ。

資金を持たない人間は、「適切な努力の仕方」に出会うことが難しい。
私が「努力の仕方を間違えている」と言われたように、無意味な…いや有害な努力をすらしてしまう。

音大には経済的にゆとりのある方がたくさんいる。
基本的には「努力の仕方を教えてくれる人に師事できる資金のある人達」だけが試験を受けることができて形成される集団だから。

昔、「環境が恵まれていただけでずるい」というようなことを言われたけれど、その人が発した言葉やその人の背景についてこのところ考えていた。

私が大学に入るまでにやってきたのは、月謝一万円ちょいの習いごとレベルのピアノ(もちろん最初はもっと安い…それなりに弾けるようになると料金があがるシステム)。
普通受験生レベルになるとワンレッスン1万円以上が多いけれど、ワンレッスンじゃない。
そして、ソルフェージュや楽典、聴音は独学だ。

それでも「恵まれていてずるい」と言われるのが現実。
それが普通の感覚なんだろう。

部活を一生懸命やってきて、私からするとそれこそ「努力の仕方を間違えている」と感じる歌い方をしていたけれど、本人は私よりも長く努力してきたのだから力量も変わらないと自負していた。

基礎工事が欠陥だと建物は立たない。
物事を吸収しやすい若い時期に上達の望めない訓練を執拗に繰り返すと、それを戻すまでにさらに膨大な時間がかかってしまう。

しかも、違う建造物が建っていることにも気がつかない感性が磨かれて、同じ曲を歌っていても全く異なるテクニックを使っているのに、同じ曲が歌えているのだから同じことをしていると思っていたりする。

そして、専門家集団が持っているのとは違う基準で自分の位置を認識しているから、プロに選抜されるプロの卵に「あいつは贔屓されている」と言ったりする。

…当時はそういう突っかかってくるようなことを言われることがすごい不愉快だったのに、今思うと、これは本人のせいじゃないんじゃないか?と感じた。

人は所属する集団の模範意識や関わる人達との交流の中で価値観を形成していく。

部活で身に付けたルールとプロに繋がるルールが違っていたら混乱する。

でも、違う。

私も無駄な努力をたくさんしたけれど、必死でやってきたことがむしろ有害だったことを理解した時のショックはかなりなものだ。

学生の頃はまだまだ混乱していたけれど。
アマチュアの合唱で言われることと声楽のレッスンで言われることが違って。

でも、より歌声が自分の動きたい方向に動ける自由さがある方向に舵を切って、声楽に絞った。

日本の公教育は最低限の教育を受けることのできる権利だ。
専門家のスキルはほぼ使われない。
そして、膨大な時間をかけている部活も、今はまだその延長線上にあることが殆ど。
経済が大きく動くカテゴリーだけが別枠。

他の部活にだって、専門家を入れるだけで人材ももっと育つだろうに。

お隣は、才能の片鱗をみせた子供に国が投資してくれるので、もうバンバン世界レベルの人材が育っている。
日本の公教育にはギフテッド教育もない。
人に能力差や適性の有無があることを前提に、それを最大限伸ばせるようなシステムにはなっていない。

上っていくチャンスを掴むのに、素質よりも、素質を磨ける経済力を持っていることがものを言う。

私が持っていた不満をその人も持っていたんだなと。
そしてたまたまラッキーガールだった私が、目の前でひょいと拾いあげてもらえたのを目にして、一層不公平感を募らせていたのだろうと。

ひとりで出来ることは限られているけれど、私が経験してきたことは、きっとそのまま私の人生の宿題なんだろうなと思う。

何ができるのか考えていきたい。

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