病院のピアノ

今日は本院ではない病院へ、いざというときのため…ということで顔を見せに外来。

近いけれども、混雑しており待ち時間はやはりそれなり。

一日が医療関係のことで終わっていくー。
…という愚痴はツイッターくらいにして。

一階のロビー付近に一台のアップライトピアノがありました。
お手を触れないように…という但し書きだけでなく、まわりはロープで、そして蓋にはがっちりと開けられないように挟んでしめるような器具が装着されており、コンサートの企画も見当たらないし、使われている形跡がわからない感じ…。

なんというか…このピアノがかわいそうだ…と。

寄贈年が10年くらい前だったけれど、この10年の間に、このピアノが本来の役割で活躍したのはいったいどのくらいだろうか?と。

アンティーク調の、たぶん普通のよりも高いもの。
調律はしているのだろうか?
勿体ないなぁ…と。

なんだか「この子をちゃんと使ってやりたい!!」と思いつつ、今は提案すらする余力もなく…(´・ω・`)。。

学生の頃、ホスピスに歌いにいったのをふと思い出したり。

昨日まではこっちにいた人が、翌日にはあっちに旅立つ…というような場所で歌うと、「お客さん」の視線がやはり他の場所で歌うのとは全然違っていて、ついこちらの涙腺がゆるんしまうのがどうしようもなかった(こらえるけどね。歌えないから。)。

「ふるさと」とか…。

学生とか若い頃なんかは特に、自分の未熟さでいっぱいいっぱいで、必死に技を磨く…ということに終始しがちだったけれど、歌は、音楽は、上手いとか下手とか、そういうことが重要なのではないんだなーと。

泣いてくれる人がいるということ。
寄り添えることができるということ。

人生の一瞬を豊かにすることができるということ。

そのためにひたすら向き合っていくものなんだなぁ…と。
そんなことを考えるきっかけだったな…と。

思い出し。

前回の記事で批判について書いたけれど、音楽を学び始めると本当に、技術的なことに関してのダメ出しばかりになる。
技術という型を身に付けていくような感じなので、そういうものだと言ってしまえばそうなんだけれど。

音楽が音学になって、音が苦になる…なんて、大学一年の時は日記に書いていた。

懐かしいね。
すっかり調教されてドMになった気もしつつw

型は大切だけどね。
最低限の技術がなければなにも出来ないから。

でも、何か出来るようになったら、その出来るようになったことで少しでも人の幸福に寄与できるような生き方ができたら素敵だと思う。

出来ることを大切に。
私も、今出来ることを、少しであっても大切にしたい。

↓ソーシャルメディアで共有する↓