結局程度問題

2018-08-18 13:06:26

こないだツイッターで、グルメな人と自分の比較を図にしていた人がいたのですが、そうだなーと思った。

なんでも美味しいと感じる人と、あるレベルをクリアしてないと美味しいと感じない人がいて、それは音楽でもなんでもそうで。

教える側の時は偉そうにダメだしするけれど、自分も程度問題で同じような課題を抱えていたりする。

師匠にずーーーーーーーーーーーっと同じことを言わせてしまっていたけれど、今、自分で聴いても、うん。まだ出来るなと、もっとやれよと思う。

絶対的に出来ている、出来ていない…とは違うのかなと。
よりbetterになるためにやることの繰り返しで。

何か指導を受けた時に「○○だって出来てないじゃないか!」って言う人がたまにいるけれど、問題はそこではなくて。
いかに自分の感じるbetterに向かっていくか?だと思う。
…そのように口にする段階で求めているものが違うか、いる場所が間違っているようにも感じるけれど。

…ちょっと昔のことを思い出した。

能動的な姿勢と受動的な姿勢だと、起こった事象への捉え方が全然違って。
前者は自分への期待があるけれど、後者は他人への期待がある。

他人への期待は、それは依存でもあって。
「自分を満たして欲しい」という感情が隠れていることが少なくない。

たぶんだけれど、「幸せ」は依存していると遠いのだと思う。

我々は多く、義務と禁止に縛られて成長をするけれど、日本人は我慢しすぎだ。
過労死する段階でまともな社会ではないのだから、もっと「普通」を疑って、自分自身に期待を寄せてみるといいのではないかと思う。

出来るのに我慢している&ちゃんとやってないと人は不満を持ちやすい。
嫉妬で足を引っ張る人間を「暇人」だと称するのも、そうだなぁと今は思うようになった。

適当に「飼われている」状態は、安全だけどつまらないのかもしれない。
せっかく何かに挑戦するのなら、「バカなことを言って!」と笑われたとしても面白く生きたいなと私は思う。

とりとめもなく。雑感。

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