芸事への執念

2018-09-24 12:42:00

 

前回、初期値が異常な人の才能について書いた。

 

才能の有無は実際にある。
そして、ものすっごい差がある。
ある人が何年もかかることを、ほんの数ヶ月でやってのけるような人も実際いる。

 

でもその才能も、磨かないと光らない。

 

そして面白いのは、簡単にできることに人は執着しなかったりするということ。
私が出会った元々バリバリ歌えるタイプの人で、結局プロになったのは、5人いて1人だけ。
そしてその人も所謂「バリキャリ系」ではない。

 

金持ち喧嘩せず。
とはよく言ったもので、豊かな育ちの人は不足感をあまり感じないので、執着しない。

 

芸事って、なんというか、いつもギリギリのところで勝負していって、やっと数㎜だけ向上していくような、そんなイメージ。
しかも心身の好調、不調でいったりきたりの波を繰り返しながら…となると、思うようにならない経験の多さたるや半端じゃない。

 

そういう、ある種好奇心と共に、自分に対する嗜虐性と嗜被虐性…のようなものが同居しているのかなと感じる。

過集中でハイになった状態は、痛みに鈍感で中毒性があるのも要因かもしれないけれど。

のだめは集中に入ると飛躍的進化を遂げつつもあからさまにやつれるけれど、あれはよく表現されていると思う。
彼女自身も、聴けば再現できるような圧倒的な才能を有しつつも、本人的にはそもそも執着が無かったあたりも実際そうだろうなと。

 

多くの二世俳優が今一つパッとしないのは、そういう不足感を感じにくいというのもあるのだと思う。

大事にされながらそこそこのところでやっていけるなら、苦しみに対する耐性も育たないし、あえて望まないのは動物として自然だろうし。

 

逆に、才能の遺伝子は受け継ぎながらも親や周囲から反対やバッシングされていたり、家と確執があったりするような二世は、年齢を重ねる毎になかなか到達しえないところへいったりする。

そういう人の芝居はとにかく密度が濃くて、隙間がない。
「上手いね」とかいう言葉が軽々しく出てくる感じじゃない。

 

人間は面白い。

 

表面的に基準値以上にできること…で、たぶんエンターテイメント的な側面ではそれなりに楽しめるものになるのだと思うのだけど、それより一歩踏み込んだものにするには、その人間が生きてきた人生そのものや、何かを想ったときの中身の圧倒的な濃さが必要なのかなと思ったりする。

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